緊張やプレッシャー、疲れが溜まり、久々に怒りが希死念慮として現れたよという話~身の程を知るって大事~
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ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんにちは!
書きたいことは多々ありますし、心理学講座もライフワーク・グループコンサルもぜひ!皆さん!受けて下さい(はぁと)って感じなのですが(笑)
久々に怒りが”希死念慮”として出てきたので、本日はそのお話を昇華の意味も込めて、書きたいと思います。
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わたしは昔から「(家にいるのに)帰りたい」とか「消えたい」「リセットしたい」「消えてなくなりたい」みたいな気持ちを抱えることがありました。
人の記憶って曖昧なものなので、あんまりアテにはならないものなんですけど、中学生の頃にはそう思ってたことを覚えてます。
そういうのがピークになると「もうシにたい」「シんでいなくなりたい」「全てを終わらせたい」みたいになるんですよね。
「消えたい」とか「リセットしたい」みたいな衝動は疲れてくると出てきがちなのですが、「シにたい」とか”実際に行動に起こそうとしそうになるくらいの衝動”に駆られるのは、久しぶりでした。
稀にあるんですよね、なんか空虚の闇にスポッとハマるみたいな時が。
人って孤独にめっぽう弱いのですが、わたしがこの希死念慮にハマるのも大体が強い孤独感を感じた時なんですね。
孤独って一人で居る時よりも誰かといるとか周りに人が居るのに「孤独感を感じる」という時の方がキツくて、孤独感だけじゃなく、虚無感とか絶望感とか空虚感なども感じます。
存在意義を見出せなくなるんですよね、これにハマると。少なくともわたしは。
さらに誰かに助けを求める、ということも出来なくて、より孤独感や虚無感を強化します。
その結果、
「あー、今、ここで、わたしが物理的にいなくなれば、皆の中に存在できるのかな」
なんて想いが、復讐心と共に出てくるんですよね。怖いよね(笑)
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少し話が変わるのですが。
起こった出来事や事象は何であれ、それに対して相手がどう感じたか、どれだけ感じたか、どのくらい深く感じたか、どれだけの衝撃を受けたか、そもそもそれまでにどんなものを抱えていたか、なんてことは他人には判断できないんですよね。
その出来事そのものは「たいしたことではない」かもしれないけれど、それがその人にとって『たいしたことない出来事だったかどうか』はまた別の話になるわけです。
自分の”モノサシ”で安易に言葉を紡ぐと、地雷を踏むことがあるわけです。
それはそれでわからないからしょうがないんですけどね。
だから、興味を持つとか理解しようとするってことが大事だとわたしは常々思っています。
これはあくまでもわたしのポリシーです。
わたし自身が、そうやって、安易に地雷を踏まれることが今までよくあったからです。
(正確に言えば、地雷を”踏ませてる”んですが、話がややこしくなるので割愛します。)
なんでそんなに悩むの?
そこまで考えること?
考え過ぎじゃない?
気にしすぎじゃない?
そんな気にするほどのこと?
たいしたことじゃないでしょ。
そんな言葉を受けるたびに、
わたしが弱いからダメなんだ。
わたしがヘタレだからいけないんだ。
わたしの心が弱いからダメなんだ。
こんなこと気にするのはわたしが弱いからだ。
わたしのメンタルは弱いんだ。
そんな自己否定、自己嫌悪、自己攻撃をする一方で、
わたしが感じてるこの傷みをあなたが感じたわけじゃないくせに。
それがわたしにとってどれほどのものかなんて知らないくせに。
なんであなたが「たいしたことない」って決めるの?
一体、あなたにわたしの何がわかるっていうの?
わたしがどんな思いを抱えているかなんて知る由もないくせに勝手なことばかり言わないでよ。
という怒りも出てきて、
弱いわたしじゃダメなの??
ヘタレなわたしじゃダメなの??
気にし過ぎって笑われなきゃいけないことなの??
「だから、わたしは、何も話したくないんだよ。」
という想いと共に、孤独感、虚無感、絶望感をもうこれまでに何度も何度も味わってきました。
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わたしは4人家族の中で言えば、一番末で、姉と歳が離れていることもあり『大人3人と子供1人』みたいに感じることが多くありました。
母が二人いる、みたいな感じだったんですよね。
”子供のわたし”は蚊帳の外で、大事な話には混ぜてもらえない。
家族なのにわたしだけが除け者のように思えて、わたしにとっては疎外感や孤独感を強く感じる家庭環境でした。
我が家族だけで見れば、そんな感じですが、ここに近所に住む母方の祖父母や従姉弟家族(母の妹家族)も入ってくるので、少々関係性がややこしいのが、わたしの育成環境です。
そこにいるのに、まるでいないように感じる。
この孤独感が、自分の存在意義を見失わせ、時に「自分を物理的に消すことで、誰かの中に存在させよう」とするのです。
それが希死念慮として現れるんですよね、わたしの場合は。
ようは、寂しいんです。究極に。寂し過ぎるのです。
「もっと、ちゃんと、わたしのことわかってよ!わかろうとしてよ!」というニーズの奥で、
「寂しいよ!寂し過ぎてシんじゃうよ!」という”ウサギみたいなわたし”(?)がいるわけです。
小心者で、怖がりで、寂しがり屋で、本当はもっと甘えたい、もっと見てもらいたい、構ってもらいたい、そんなわたしが、泣いてるんです。
誰かの中に自分が存在していると実感することで、存在意義を見出し、安心したい自分がいるんです。
そうでもしなきゃ、誰かに見てもらえないと思うくらい、自分のことを「ちっぽけな存在」だと認識しているんです。
そうとでも思わなきゃ孤独に耐えられない『小さな子供のわたし』がいるんです。
小さな子供の小さな器でいっぱいいっぱい抱え込んだものを、そうやってなんとかしようとしてたんですよね。
いや、もう、ホント、よく頑張ってきたよ(涙)
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わたしの場合、希死念慮は”周りと分離するため”に出てきます。
リセットしたい、消えたい、いなくなりたい、っていうのも”分離”から来るものです。
孤独感や虚無感から周りとのつながりを感じれなくして分離するんです。
これ『親密感の怖れ』そのものです。
親密感を感じたからこそ分離するように孤独感を感じる出来事を体験するのです。
なぜか。
自分の存在をよくないものだと誤認しているから、です。
分かりやすく言えば『自分を毒だと思っている』って感じですね。
毒な自分が誰かと親密になったら、その人を毒しちゃうでしょ???
そうしないために”分離しようとする”んです。
自分で自分の価値を見れてないので、ダメなところばっかり見て、出来てないことばっかりピックアップして、否定して、自分を責めて、自己嫌悪して、こんなわたしが誰かと一緒に居ちゃだめだー!!!と、周りと分離できるように、怒りを感じるような出来事を体験するのです。
結局は「罪悪感の仕業」です、はい。もう、ホント、疲れた(遠い目)
もう、ホント、いい加減やめたい、このパターン!!!(笑)
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このパターンを変えていくには、
自分で自分を承認すること
自分で自分を肯定すること
自分で自分の価値を見ること
自分で自分を受容すること
自分で自分の誤解を解くこと
ということが大切です。
今が『自分で自分に優しくするチャーンス!!!』なわけです。
どうしても分離しようとする時って、自分がネガティブに感じる感情が出てくるし、その感情に飲まれてしまいがちなのですが、そんな時こそ「自分の外」じゃなく『自分の内』に目を向けるのが大切です。
感情を味わい尽くすのです。
慣れないうちはひとりでやることをオススメしないので、そういう時こそ、ちょっと勇気を出して、カウンセリングをご利用くださいませ。
感情ってどうしても波立つものです。
感情という波に上手く乗ればいいんです。
感情の波乗りが出来るようになればいいんです。
抑える必要も無くす必要も一切ありません。
その練習を感情を扱うプロであるカウンセラーと共に、カウンセリングを通して、学んでいけばいいんです。
そんなの、学校では教えてくれなかったでしょ???(笑)
だからこそ、自ら学ぶのが大切なんですよね。
わたしも日々精進です!!!今回はわりと早めに戻ってこれてよかった。
以前は数日間凹みっぱなしで「もう誰とも口きかない(真顔)」ってふさぎ込んでました(笑)
疲れが溜まっているのもあるので、日々もっと丁寧に自分に寄り添ってあげようと思います。
推し活を楽しむためにも!!!!!!!(真剣)
「K!naCoさんもそんな時があるんだな~。この人も人間なんだな~(?)」と思っていただければ幸いです(笑)
K!naCo - きなこ -