【マシュマロ】相談というより話を聞いてもらいたい感じなのですが、メッセージを送らせて頂いています。
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ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんにちは!
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大変ご無沙汰しているどころじゃないくらいご無沙汰しております。
マシュマロ(質問箱)もたくさんいただいているのですが、お返事できておらず、申し訳ございません。
お時間かかりますが、必ず返しますので、気長にお待ちいただけると幸いです!
さて、本日はお待たせしている中で、少し氣になったマシュマロにお返事です。
今回はあくまでも「わたしならどう捉えるか。どう考えるか。」ということを主にお話していきたいと思います!
マロ主様、こんにちは!その後、いかがお過ごしでしょうか。
>このしんどさ、正直解決出来る物では無いとは思っているのですが、ちょっと1人で抱えているのがしんどくなったので、ここで吐き出しさせて頂きました。
どんどん吐き出して下さいませー!!
こういうのはね、ひとりで抱えるものじゃないです。
なので、
>分かりづらい文章•重い内容で申し訳ありません。どこかで誰かに聞いてもらいたいと思っていたので、少しスッキリしました。
>相談とかでは無いのにメッセージ送ってしまい、すいませんでした!
と氣になさる必要はないですよ!
吐き出すことで、マロ主様の心がラクになったのであれば、それが何よりですので!
氣にするなと言われても、心優しいマロ主様は氣になさると思いますが(笑)
それはそれで、いいんですけどね。
少なくともわたしは「重い内容」と感じてないので、そこはご安心くださいませ!
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カウンセラーをやる前から、このテの話を聞くことが多かったんですよね、わたし。
初めてそういう話を聞いたのは、中学生の時でした。
「身近な人が癌になった。」
「もう余命が長くない。」
不安、怖い、しんどい、苦しい、どうしたらいいかわからない、ってただただその心の声を聞いてきました。
なので、わたしにとっては案外「よくある話」だったりします。
それもそれでどうなの、って感じではあるのですが(笑)
おかげさまで、色んな捉え方やモノの見方を身につけてきたので、今となっては良かったなーと思っております。
最近もマロ主さんの一件を含め、近しい話を耳にしたり、目にしたりする機会が続いていたので、そういう流れなのかな?と思い、お返事するに至りました。
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癌は必ずしも死に至る病ではないですし、マロ主様の推し様は腫瘍を摘出されているようですので、再発の可能性はあれど、ひとまずは落ち着いた状態なのかなと思います。
もちろん、治療等はまだまだ続くでしょうし、今後どうなるかはわかりませんけどね。
わからない、からこそ、不安になるし、良くない未来を想像してしまって怖くなってしまうのも無理はないと思います。
不安の最中で「どうなるんだろう?」って考えたら、そりゃ良い未来を想像するなんて無理ですもんね。
どうしたって良くない方向に考えてしまうのも無理はないです。
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>推しの方には以前から認知して頂いているので、プレゼントを送ったりとか、たまにSNSが更新された際は応援メッセージを送ったり、SNSで良いセカンドオピニオン先を探しておられた際は色々調べてDMさせて頂いたりしましたが、正直自分に出来ることなんてたかが知れてるなと感じてしまって、「自分は何も助けにならない」と精神的に沈んでしまっています。
闘病を見守る側ってどうしたってこの『無力感』を感じざるを得ないですよね。
「自分は何も助けにならない。」
「自分には何にもできない。」
「自分にはただ見守ることしかできない。」
そう思うくらい、マロ主様はその推し様の事が大好きだし、力になりたいんですよね。
マロ主様は共感能力がとても高いのかもしれませんね。
まるで自分事のように捉えられるのは、それはそれで才能ですので、大事になさってくださいね。
きっと、今の推し様だけでなく、これまでにもたくさんの人を、そうやって”救ってきた”のだと思いますので^^
共感力が高いということは、その人の痛みを『一緒に持って上げられる(一緒に解放してあげられる)』ということですから、全然「何も助けにならない」ワケじゃないんですよ。
当の本人としては、あまり実感がないと思いますが、その”助けになっている”という価値に氣が付いた時、きっとマロ主様は今よりもさらに魅力的な方へなるのだろうと思います。
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【推しは推せる時に推せ】
この言葉って「推しがいつどうなるかわからないから、後悔のないように推せるときに推しておけ!」みたいな意味合いで使われることが多いのですが、逆のパターンもあるんですよね。
自分が推しを推せない状態になる、こともあるんです。
それこそ病とか、何らかの事情でね。
仮にね、自分が、マロ主様の推し様と同じような状態になったとしましょうよ。
自分が闘病中である、ってことをもし何らかのきっかけがあって、推し様が知ったとしたら、きっと推し様もマロ主様と同じように「自分は何の助けにもならない」って感じると思います。
でも、マロ主様ならきっとこう思うでしょう。
「そんなことない!!!!!」って。
推しの存在が自分にとっての励みになったりするじゃないですか。
推しが居るから「絶対、病気を治して、また会いに行くぞ!」と思えたりするじゃないですか。
それって、推し側も同じなんですよ。
ファンという存在が居るからこそ、つらいことも頑張れるんです。頑張ろうって思えるんです。
もちろん、常にそう思えるわけではないと思います。
人間誰にだって波はあるので、そう思える時もあれば、挫けそうになる時もあると思います。
だからといって「助けになっていない」わけではないんですよね。
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存在、という点で言えば、もし、もし仮に、推し様が物理的にこの世を去ることになったとしても、マロ主様の中で『生き続けること』は出来るんです。
それはマロ主様が推し様を知っているからこそ、です。
推しに限らず、身近な人でもそうですが、その人が存在したということを証明できるのはこの世に残っている人の”力”だとわたしは思っています。
自分が”その人が存在した”と証明する存在である、ということがどれほど尊いことか。
悲しんだっていいんです。
寂しくなってもいいんです。
つらくても、苦しくても、いいんです。
そういう感情が出てくる時は、ただそれを感じてあげたらいいです。
それらの感情に良いも悪いもありませんから。
そういう感情が出てくるのは「自分がその人が存在した証を示しているから」なんです。
推し様との楽しかった日々もきっとあったことと思います。
今はつらくて思い出せないかもしれませんが、そのかけがえのない日々をなかったことにはしないであげて下さいね^^
どんな感情であれ「なかったことにする」のは、その人が生きた証を示すことを拒否することでもありますし、もっと言えば、もうその人を愛しませんということでもあるとわたしは思うのです。
そりゃ、罪悪感が募って、しんどくなっちゃいますよね。
人って、本当、愛したい生き物、ですから。
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『死』というものと対面した時だからこそ考えられること、っていうのがあるとわたしは思っています。
マロ主様の推し様は『死』が差し迫っているわけではないと思うのですが、その可能性が視野に入っているからこそ、考えられることってあると思うんですね。
「明日、死ぬとしたら、今何をしますか?」
自分が本当にしたいことを発掘する時によく使われる質問ですが、『死』というものが視野に入っている時ほど、より真剣に、より繊細に、考えられるんですよね。
『死』というものと対面するからこそ、より自分の人生を本気で生きよう!とすることが出来るといいますか。
より自分の人生を本気で生きるにはどうしたらいいか。
より自分の人生を本気で生きようと思ったら自分はどう在りたいのか。
より自分の人生を本気で生きる、とは自分にとってどういうことなのか。
そういうことを改めて考えようと思えるのは『死』というものと対面するからこそだとわたしは思っています。
他にも自分にとっての当たり前が当たり前じゃないことを知れたり、当たり前になりすぎて忘れてしまっていた感謝を実感したり、今ある幸せに目を向けられたり、そういう日常に追われて忘れてしまっていることを思い出せる機会だともわたしは思います。
案外、日常に”慣れ”て、平和ボケしてたりしますからねー。
もちろんそれが悪いわけじゃないんですが、人って変化を嫌いながらも変化したいと思う生き物なので、あまりに平凡な時は、そういうパンチを効かせてくる時があるんですよね。
「もっと自分の人生を生きろよーっ!!!」ってね。
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あれこれ、お話しましたが、何はともあれ、まずはマロ主様のメンタルケアが大切です。
あれこれ考えるのは感情を解放してからで十分です。
ひとりで抱えきれない時は、また、いつでもマシュマロ送って下さいませー!!
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