K!naCo - きなこ -

ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援するヲタク専門カウンセラー

話したところで何も変わらない。~誰にも理解してもらえない孤独感~

 

話したところで何も変わらない。~誰にも理解してもらえない孤独感~

 

ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援する

ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんにちは!

 

すーーーーーっかりご無沙汰しておりました…!!!

 

何とか今日も生きてます。ヲタクです。推しはやっぱり尊いです。

 

実はわたくし、ここ一週間ちょっと、ズーンと深く塞ぎ込んでいました。

 

まるで深海のような暗く、深く、冷たく、重たい中でただただじっとひとり、孤独感と戦っておりました。

 

皆さんもありませんか。

 

つらくて、しんどくて、重苦しくて、悲しくて、どうしようもないくらい寂しいのにひとりでじっと耐えてしまうことって。

 

「そんな!時こそ!人を!頼れよ!もっと!人に!甘えろよ!」ってカウンセラーとしては言えるんですけど、K!naCo個人としては「それが出来るんだったらこんな苦労はしてねぇだよ!!!(ブチ切れ)」って感じではあります、はい。

 

無理なものは無理なんですもん、仕方ないですよね。

 

「頼るって何?甘えるって何?はぁ?具体的に教えてみろよ?なぁ、おい。それが出来るんだったらな、とっくにやってるよ。でも、出来ないしわからないから困ってんだろうが。あ???」なんて喧嘩売りたくもなりますよねっ☆

 

今回、わたしはずっと怒りがふつふつと湧いておさまらなかったんです。

 

誰でも彼でも当たり散らしてしまいそうで、それが怖くて、ただじっと「耐える」ほかありませんでした。(※良い子のみんなは真似しちゃダメよ☆)

 

怒りに限らずとも、何かネガティブな感情をただひたすら耐え忍ぶってことをやってしまいがちな人は多いのかなぁと思ったりします。

 

「わたしは誰にも頼らない!」とか「自分のことは自分で何とかしなきゃ!」とか「人に甘えちゃいけない!」とか、自分以外のものの助けなしで、自分の力で物事をやっていこうとする自立の人は大いに心当たりがあるのではないでしょうか。

 

まぁねぇ、でも、それもしょうがないと思うんです。

 

そうなるにはそうなるだけの原因っていうのが必ずあるわけですし、その背景は他人には計り知れないものですしね。

 

その人がどれだけの想いを抱えているのか、なんて他人にはどうやったってわからないんです。

 

その抱えているものがどれだけの大きさで、どれだけの重さで、どれだけ重要なもので、どれだけ大切なものかなんてことは「その人自身」にしかわからないんですよね。

 

だから、安易に「人に頼りなよ」なんて言えないなぁなんて思ったりするのです。

 

って、言っておきながらサラッと言っちゃうかもしれないですけどね!今はこんなこと言ってても忘れちゃうのが人間ってやつですのでね!矛盾万歳!

 

 

ちなみに、わたしは「誰にも理解してもらえない孤独感」を抱えていました。

 

カウンセラーがこんなこと言うのもなんですけど、カウンセラーである前に一人の人間なのでサクッと暴露しちゃうと。

 

「話したところで何も変わらない。話して解決するのならわたしはこんなにも苦しまなかった。」という怒りをずっと抱えてたことにこの一週間ちょっとで気付いたんです。

 

深く真っ暗な暗闇の中で、苦しさやつらさ、寂しさに胸が押し潰されるような痛みを、ひとりでただひらすら耐え忍んできたわたしの気持ちなんてわかるはずがない、って思い込んできたんです。

 

それはわたしが小学生の頃から持っているものでした。

 

夜な夜な声を押し殺して一人で泣いていた小学生のわたしが友人はおろか親にすら理解してもらえない寂しさと悲しみと孤独感を抱えて、そのまま今のわたしになりました。

 

誰かに話したところで理解されないのなら話しても無駄だと思ってしまうのも無理はないと思うんです。

 

余計に寂しさや悲しさ、孤独感が募るだけですから。

 

「あぁ、やっぱりこの人もか。」ってガッカリしたくないですから。

 

理解してくれる人は誰もいないんだって絶望したくありませんから。

 

どこかでは諦めのような気持ちがありつつも、また別のどこかでは理解されることを諦めきれないわたしがいるんです。

 

でも、やっぱり怖いんですよね、「またか」って傷付くのが。

 

理解されないのも当然と言えば当然なんですよね。

 

わたしがどんな想いを抱えているかなんて伝えようとも、理解してもらおうとも、してこなかったのは他の誰でもない「わたし自身」ですから。

 

とはいえ、それも責められるものじゃないんです。

 

自分で抱えて耐え忍ぶというのが、わたしなりの「愛し方」だったから。

 

 

わたしの、周りの人に対する『愛』だったから。

 

 

ただ、ちょっと、その愛し方がわたしには合ってなかったみたいです。

 

その愛し方に縛られて、自分で、自分を苦しめてしまっていたんです。

 

まぁそんなことが出来ていたのも、マルッと抱え込めちゃうだけの器があってのことなんですけどね。

 

 

ヲタクのバイタリティーって、ホント、ハンパないっす(真顔)

 

 

さて、そんなことに気付いてしまった(?!)ので、そろそろ「自分に合った愛し方」を模索する時がわたしにはやってきたようです。

 

とは言っても、今までの愛し方しか知らないわたしは一人で考えても永遠にわかりっこないので、ここは人の力を借りるところなのでしょう。

 

 

はぁああああ、怖いっ!!!!!(ガクブル)

 

 

 

そんなこんなで随分とご無沙汰になってしまいましたが、またボチボチやっていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

話しても何も変わらない、かもしれないけど、

 

変わる可能性もなくはない、ということを

 

怖いけど信じてみる勇気、わたしと一緒に持ってみませんか。

 

 

カウンセリングでもOKですし、マシュマロ質問箱でもOKです。

 

あなたも「自分に合った愛し方」探してみませんか。

 

 

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