サイレント・マジョリティの存在を否定するということは自分の存在を否定することにもなる?!~目に見えぬファンは誰にだって必ずいる~
ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援する
ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんにちは!
昨日は一日2公演の日だったので、ブログを書く余裕がありませんでした。
その分、ライブ(?!)を思う存分楽しみましたー!!!
▼ 一日2公演ってコレの話です。
【終了】疑問質問にお答えする!集客につながるTwitter講座
早くもご感想いただきましたので、ご感想ページに更新してます^^
アンケートにご協力いただけるのって、本当、ありがたいなと思います。
皆さん、いつもありがとうございます。
皆さんのおかげで、K!naCoは今日もこうして元気に生きております。
***
さて、今日も特に何のネタも浮かんでないんですけど(笑)
昨日Twitter講座にて、両部ともサイレント・マジョリティの話を少しお伝えしたので、それにちなんだ話をちょっとしたいなと思います。
サイレント・マジョリティって”物言わぬ多数派”のことなんですけど、表立って行動や発言はしない【静かに応援してくれている人達のこと】とここでは定義付けます。
ヲタク界(?)でいうところの”茶の間ファン”ってやつですね。
目に見えぬファン、ってわたしは表現したりすることもあります。
*
以前、サイレント・マジョリティについてわたしが話したことをカウンセラー仲間であり友人でもあるゆか姐さんがブログに書いてくれました。
▼ 上記の記事を引用してつぶやいたのがこちら。
サイレント・マジョリティって言葉があるんですよね。物言わぬ多数派ってわざわざ言わないけど応援してるもんなんです。つまりあなたの元に「応援の声」を届けてくれる人はとても有難い存在なわけです。そしてアンチも同じくわざわざ意思表示してくれるほど「関心を持ってる」ってことなんですよね。 https://t.co/DFbLSVxU9I
— K!naCo - きなこ - @ヲタク専門カウンセラー (@kinaco215) 2022年11月29日
*
サイレント・マジョリティって目に見えないし、なかなか認識しずらいとは思うんですね。
「私のこんな話、誰が興味あるんだろう」
「私のファンなんて一人もいないんじゃないか」
「もっと役立つこととか有益な発信をしなくちゃ」
「私にファンがいるなんて自意識過剰じゃないか」
「応援してくれるのは知っている人だけだ」
なんて思ったりすることもあると思うんです。
それって要は、サイレント・マジョリティの存在を認識できてないし、信頼してないって言えたりするわけです。
まぁ、芸能人やアイドルでもないのに、そんな意識を持てと言われても、なかなか難しいだろうなとは思うんですけど(笑)
ただこれって特別な人だけの話じゃないんですよ。
どこで、誰に、どう思われてるかなんて、誰にも知る由ないんです。
自分では全く気付かなかったけど、実はこっそり片思いされてたなんてことだって、きっとあると思いますよ。
知らないだけで居ないわけじゃないんです。
自分が認識してなければそりゃ”自分が認識できる範囲には居ない”ってことになりますけど、それは単に”知らない”ってだけなんです。
*
「いや、でも、私にそんな人が居るとは思えない。」
って大体の方は思われるんじゃないかと思います。当然の反応です。
ただこれね、サイレント・マジョリティの存在を否定するってことは、回りまわって”自分自身の存在を否定する”ことにもなってるんですよね。
もう少し正確に言えば【自分自身の気持ちを否定してる】ってことですね。
*
あなたにも表立って何か行動したり、発言・発信したりしないけど「好きだな。素敵だな。応援したいな。」って思う方、いらっしゃいませんか。
いつもにこやかに仕事している素敵な店員さん、とか
Twitterでよく見かけるちょっと気になるあの人、とか
ライブに行ったりするほどではないけど応援したいアイドル、とか
実際会ったことも見たこともないただインスタで見かけるだけの子供、とか
恋愛として好きとかじゃないけど目の保養になる好みの上司、とか
YouTubeでひっそり成長を見守っている猫ちゃん、とか
好きの大きさや深度、応援の熱量はそれぞれにあると思います。
ただなんか気になるな、つい見ちゃうな、ふと思い出すな、っていうような人や動物、モノって誰にでもあると思うんです。
それって別に、その対象は『私がそう思ってる』なんて知ってるわけじゃないですよね。
人ならまだしも、動物やモノになってくると認識されるわけないですもんね。
でも、好きは好きだし、気になるもんは気になるし、見ちゃうもんは見ちゃいますよね。
要は、相手が認識してるかしてないかなんて、その想いには関係ないですよね。
*
自分が誰かや何かを想うように、自分自身にもそうやって想いを馳せてくれる人って絶対いるんです。
私にはいない、って否定することは、その人の気持ちを否定することでもあり、引いては、自分自身が誰かに対してそう思う気持ちも否定することになるんです。
もちろん、無意識ですけどね。
無意識に自己否定してることになるんですよね。
それってもうホントめちゃくちゃ勿体ないな!!!ってわたしは思うんです。
そんな素敵な気持ちを否定する必要なんて全くないのに、ってわたしは思うんです。
*
自分が誰かや何かをひっそり応援しているように、自分にもそんな人達が必ずいるんです。
知らぬ間に、誰かに、元気や勇気、感動、安心、気付き、許し、癒し、幸せを与えているもんなんです。
自分が誰かや何かからそうやって与えられているように。
自分が”こんなこと”って思うようなことにこそ、それが誰かにとって元気や勇気、感動、安心、気付き、許し、癒し、幸せになってたりするんです。
それくらい”価値のあること”なんです。
それを「誰も見てないから」とか「誰も興味ないから」とか「くだらないことだから」って自分で決めつけて(自分で勝手に思い込んで)”出し惜しみ”するのはとっても勿体ないことだとわたしは思うんです。
だから、わたしはいつもこうお伝えするんです。
そのままでいいよ。
くだらなくなんてないよ。
自分が思うことを表現すればいいよ。
自分が何に、どんな感情を感じるのか。
自分が何に、どんな反応を起こすのか。
自分が何に、どんな感覚を覚えるのか。
ただそれを表現していけばいいよ。
それはきっと誰かにとって価値のあることだから。
って。
*
あなたがあなたで在ることがどれだけ素晴らしいことなのか、ということをカウンセラーとしてあの手この手で伝えていけたらいいなぁと思う次第でございます。
では!明日もよい一日を!!!
K!naCo - きなこ -