いつも周りに気を遣って生きている人達へ~根本先生のブログがぶっ刺さったよというお話~
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ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんにちは!
本日、我がカウンセラーの師匠である根本裕幸先生が上げたブログ記事がぶっ刺さったので、きっとわたしに親近感や何か近しいものを感じて下さっている方にも刺さるだろうと思って、わたしの考察と共にシェアしたいと思います。
元記事を読まなくても、ある程度引用して書くので、この記事だけでも内容はお分かりいただけるのではないかと思います、はい。
▼ 師匠の元記事はこちら
*
自分は人に嫌われるんじゃないかという怖れをもって人に気を遣うことが癖になっている人がいます。その人は自分は他人軸で依存的だと思っているのですが、実はそうすることで強すぎるエネルギーを封印する、たいへん自立的な方なのです。
・・・はい、のっけから、ぶっ刺さるぅぅううう!!!
ただわたしの周り(クライアント様も含めてね☆)で何人か思い浮かぶ人がいるので「あぁ、そう…なの、かもなぁ」なんて無駄な抵抗と共に読んでおりました。
でも、これって結構大きな、ある意味”勘違い”ですよね。思い違いとも言えるかな。
自分は他人軸で依存的だと思ってたら、自立をより強めて言っちゃうことになるので、それこそ”事件待ち状態”になりかねないんですよね。
「ちょいちょいちょい!待てまて待て!そっちちゃうで!それ以上行ったらあかんで!」
って強制終了させられるわけです。
例えば、病気になるとか会社をクビになるとか突然離婚を突き付けられるとか借金が発覚するとか、でね。
「はーい!ストップ(はぁと)」
ってされる前に気付けるといいんですけど、まぁ、人間、変化が大変お嫌いですので、その辺はしゃあないですよね。
それもタイミングだし、流れだし、プロセスだし、自分が何にどれだけの問題意識を持つかっていうのでもあるしね。
いつだって、自分にとってベストなタイミングで気付きはやってくるので、それはそれでいいんだと思います、はい。
いつ気付いたってそれが自分にとってベストなタイミングなんですよね。
それこそ人との出会いも、ね。
そのための最適な方法が「自己嫌悪」でして、そのエネルギーが強い自分を嫌い、「そんな自分を出したら嫌われるよ」と常にささやき続けることでエネルギーの封印に成功するんです。
もちろんそこにはお母さんからダメ出しされたり、お父さんに構ってもらえなかったり、姉や妹との激しいバトルがあったりすることもオプションとして付いてくることが多いですね。
その結果、「人にすごく気を使いすぎる」「他人軸になってしまって自分がない」「何がしたいのか分からない」「そもそも自分が分からない」等々の問題として表に出てきます。
はい、見事に”自己嫌悪”で封印成功しましたー☆
オプションって表現いいですよね。好きだな、オプションって響き(何)
思えば、わたしもたっっっくさんのオプション付けてたなー。
父親が問題児だったり、母が感情的だったり、夫婦喧嘩の仲裁に入ったり、母から父の愚痴を絶えず聞いたり、姉は宇宙人(?)だったり、家族の中では末っ子ゆえにどうしても浮いた存在になりやすかったり、まぁ、その他にもたくさんのオプションがありましたよ。
好きな人に「自分がないよね」って言われたりねっ!!!
ほら、オプションってたくさんある方が楽しいじゃないですか!ねっ☆
おかげさまで「人にすごく気を使いすぎる」「他人軸になってしまって自分がない」「何がしたいのか分からない」「そもそも自分が分からない」等々の問題として表に出てきてます☆
まぁ、わたしはそれがしたくて、今世やってきてるみたいなので、当然っちゃ当然なんですけどね。
こういう問題が起こることも織り込み済みで、生まれてきてるわけです。(ひとつの考え方ね。)
そういう意味では、ホント人生で無駄な経験なんて何一つないなって思いますね。
そう思えない時もいっぱいあるけどね!特に渦中とかはねっ!!!!!
だって人に気を使わなくなったらヤバいじゃないですか。
その封印してきた強いエネルギーが暴発しちゃったらヤバいじゃないですか。(中略)
ね?だから人にものすごく気を使った方が平和で安全なんですよね。
そう、こういう方々は身を挺して地球を守っているのです!ありがとう!!
いえいえ、どういたしましてっ☆(黙)
封印してきた強いエネルギーが暴発しちゃったらどうなるか、って同志の皆さん、考えたことあります??
私は違うなって思った、これを読んでいるあなた。あなたに問いかけてるんですよー??(笑)
わたしはですね、「人を容易に潰しちゃう」って怖れがあります。
肉体的にも精神的にも破滅へと追いやれると思ってます(真顔)
あとは「我が道を爆走して、皆を置いて行っちゃう」っていうのもありますね。
”置き去りにしちゃう”っていう方がわたしにとっては正確かな。
自分の中の世界で話を進めちゃうと、話がぶっ飛ぶので、周りがついてこれないってこと、ちょくちょくあったんですよね。(わたしの中では話が繋がっているのだけど。)
まぁぁあああ、これが伝わらないというか、伝えるのが難しいんだ、わたしには(真顔)
”一から十まで説明する”って表現があったりしますけど、わたしの感覚としては「一から百まで説明しないといけない」って感じなんですよね。
それがまぁ疲れるので、基本的に口を開かないというか、伝えることを諦めちゃうようになりましたねぇ(遠い目)
それはわたしが”身の程知らず”ゆえに、属する場所を間違えてただけなんですけどね。
難なく伝わる環境がこの世に存在してるなんて、そんなの信じられます???
わたしはね、信じられないどころか想像すら出来ませんでした。
それは「わたしがわたしのことを知らなかったから」というのと「(良くも悪くも)封印が成功しているから」なんですけどね。
身の程を知る、言い換えれば、等身大の自分を知るって大事ですね、ホント。
そもそも生き辛いし、ガマンがクセになるし、表に出ないように気配を隠して生きることになるし、アンダーグラウンドをガンガン作ってしまうことになるんです。
そういうわけで、一応、ふつうの、人間として、この日本で生きていくために、人に気を使いすぎるというアクションを取り続けていらっしゃるのです。
こういう問題を見る時、大体アングラことアンダーグラウンドの話が出てくるんですけど、自分事として考えると、わたしはいつもここがピンと来ないんですよねぇ。
アングラらしいアングラって特にある気が自分ではしないけど、自分じゃわからないだけか、依存症的な意味合いで言えば『推し活』がそれに当てはまるのかなー??
推し活なしじゃ生きていけない!!!みたいなところありますからねぇ。
推し活で心のバランスを取ってきたところがあるので、そういう意味では『(公に出来るという意味で)明るいアンダーグラウンド』なのかもしれないですね。
そういう方はそのエネルギーを解放するために「ダンス」「演劇」「ボイトレ」「第一次産業」「お祭り」「ボディメイク」「サーフィン」「格闘技」などをお勧めすることが多く、要するに「体からのアプローチ」によって、“正しく”“安全に”エネルギーを解放することを体で覚えることをお勧めしています。
わたしがこれまでの人生で一番「エネルギーが回ってたなぁ」と思うのが、高校時代~社会人になる前(専門学生時代)なんですけど、その頃って”演劇”をやってたんですよね。
発声がね、めちゃくちゃ発散になるんですよ!!!
声を思いっ切り出せる環境ってわたしにはめちゃくちゃ貴重だったんですよねぇ。
中学の頃の友達(地元の友達)に「きなちゃんは演劇に出会えてよかったね」って言われたことがあるんです。
わたしにとって良いものと出会えたんだね、って意味でね。
今にして思えば、傍目に見ても変化があったのだろうと思います。
ちょうどその時代(高校時代~専門学生時代)だけだもんな、わたしにパートナーがいたの。
面白いでしょう???(笑)
どこかでエネルギーが出せていれば、他も上手く回るっていうのは、その頃を顧みても「本当にそうなんだろうなぁ」って思います。
上手く回ってたからってしんどいことが全くなかったわけじゃないけど、しんどいことがたんまりあっても一つエネルギーがガンガン回せる楽しいことがあれば、結局のところ、プラスマイナスが”プラス”になって「楽しい!」が勝つタイプなんでしょうね、わたし(他人事)
その頃ももちろん推し活はしてたので、推し活だけではエネルギーの回りが良くないんでしょうねぇ、わたしは。
演劇くらいエネルギーぶん回せる”何か”が”ビジネス”になればいいんでしょうけど、そこがまだ上手く繋げられてないというか、繋げないようにしてるんですよねぇ。
もちろん、無意識というか意図的にではないですけどね。
まぁ、演劇もビジネスもあくまで方法なので、注目すべきはそこじゃないんですけどね。
そうして自分を封印してきた分だけ「ストレス」は一方的に溜まるものです。
もちろんエネルギーが強い人は器も相当デカいためにふつうの人であれば根を上げるレベルのストレスも余裕で受け入れられたりします。
だから、案外体が強かったり、自分が思う以上にメンタルが頑丈だったりするのですが、とはいえ、その溜まったストレスは何かの折に吐き出したいと思うわけです。
そうすると「この人なら出しても大丈夫だ!」「ここでなら出してもイケる!」と思ったものに対して依存症か!?と思うくらいハマったりするんです。
わたし、ずっと「自分の心も体もか弱い」と思ってたんですが、どうやらそうじゃないらしいぞというのはここ数年で自覚しました(真顔)
推し活は間違いなく”ストレスの捌け口”になってますねぇ。
人に依存するっていうのは、ない、気が、自分ではしてる…けれども、どうなんだろうね。
ちょっと話が逸れるのですが、自分が怒りを抑圧していると、それが周りに出て(影響して)怒りっぽい人が周りにいるとか、クレーマーに遭遇しやすいなんてことが起こったりするんですね。
それと同様に、自分が依存心を抑圧してたら、それが周りに出て(影響して)周りの依存心を引き出しちゃう、なんてこともあるのかもなって最近思ってたところなんですけど、わたしはもしかしたらそれかなぁなんて思ったりしております。
エネルギー強い人ほど影響力があるので、そういうこともあり得るんですよねぇ。
わたしは自分が思っているよりもストレスに対して鈍感になっていて、ストレスはあって当たり前の状態になっているのですが、ここを脱するにはやっぱり自覚が大事だなと思うわけです。
ここでもやっぱり”等身大の自分を知る”って大事だな、と。
エネルギーが強い方はとにもかくにも”自覚する””等身大の自分を知る”ってことが大事ですよね、ホント。
でも、これ、なかなか自分ひとりじゃ難しいので、人を頼ろうねって話になるんですけど、封印成功している方ほど、まずその人を頼るっていうのが難しいんですよねぇ。
えぇ、えぇ、わたしがそうだから言えるんですよ(大いなる自戒)
「彼ができると依存し過ぎて重い女になっちゃうので、彼ができても依存しなくても大丈夫になりたい」と思ってカウンセリングに来られるのですが、
(中略)
そんなテーマでカウンセリングに来られて根本先生から「あんたは自立し過ぎだからもっと自分のエネルギーを信頼して身を委ねることが大事なんだよ」とか言われると、「は?こいつ何言ってんの?何も分かってねーなー」と思うことになるわけです。
これ、ものすごく重要なお話なので5回くらいは読み返して「これ、あたしのことだよね?」と思い込んでいただければと思います。
とのことです!5回読みましょう!
ちなみにわたしは律儀に5回読んでからこのブログ書いてます(真面目)
もちろん、重い女になっちゃう人が全員自立の人かというとそうではありません。
ただ、生計を立てられる仕事を何年も続けていたり、シンママとして子どもを育てていたり、長年ひとつの趣味を続けられたり、友達や周りの女子たちが武闘派揃いだったり、考え方がしっかりしていたり、コミュ力が高かったり、与えること(人を喜ばせること)が好きだったりする場合は、いやー、意外とあんた自立してるよ、ということなのです。
つまり、自分では自分のことを「まだまだ子どもなのじゃ」と思っていても、「いやー、意外にあんた大人なんだよ」ということなんですな。
ま、この判別はたいへん難しゅうございますね。
ここであれこれ”言い訳”を見つけて「あっ、わたしはこうだから違うな!ほら、やっぱりわたしは依存的なんだ!」って思われた方ほど、5回読むことをオススメしたいと思います(笑)
ちなみにわたしは『長年ひとつの趣味を続けられたり、』しか当てはまらないな、なんならそれも途中で推し変してるしなとかって”言い訳”が瞬時に出てきました☆
抵抗するのなんてお手の物だよね☆
(そんな抵抗も虚しく、あれこれ証拠を持ち出されて言いくるめられるので、師匠は本当に怖いっす(褒めてるよ?))
自分のエネルギーと上手に付き合えるようにして、それを活用できるようになっていく、ということが中心的テーマとなります。
やり方はクソほどありますけれど、例えば「自分の感情をあるがままに感じて解放する」というシンプルな方法をとることも多いです。
悲しみにせよ、寂しさにせよ、怒りにせよ、何かをエサにして感情を引き出し、それをただただ感じて解放していくのです。
時には伸びをしながら、時には体を揺らしながら、時には丹田に手を当てながら、深呼吸をしてただただ感情を放出していきます。(吐き出すとか解放するというよりも放出という表現がぴったりきます。)
(中略)
それが分かりやすく体験できるのがダンスとかボイトレとか筋トレなどを先ほどお勧めした体から入る方法なんですよね。
要するに「人目を気にしちゃう重たい女はとりあえず体からのアプローチでありのままの感情に委ねる経験をしようぜ?」ということが今日の主題ってことですかね。
これ、わたしが体感した中で「こういうことかな?」って思い当たる経験がいくつかあるのですが、本当に”放出”って感じですね。
勝手に流れ出てくるというか、自然と出てくるものをただただ感じるというか、そんな感じ、ですかねぇ。
抵抗なく感じればスッキリするんですけど、そこがねぇ、抵抗あったりしますよねぇ。
抵抗を感じやすい方はやっぱり身体からアプローチするのがいいですね。
さて、強すぎるエネルギーを人に気を遣うことで封印してきた方は、そのエネルギーに身を委ねていくことを体験していくと、徐々に「自分」を取り戻せるようになります。
つまり、自分が何が好きで、何がしたくて、何を求めているか、ということが徐々に明確になり(分かりやすく言えば好き嫌いがはっきりしてくる)、そのエネルギーもっと活かして幸せに生きたいと思うようになります。
(中略)
結局、幸せを感じられたらいいわけですし、幸せを感じられるってことは自分らしく生きられているってことですから、何をしようが全然問題ないわけです。
もうね、ホント、これですよ!これ!!!
全ては「幸せを感じられてたらいい」ってところに集約されるとわたしは思うわけですよ!!!
周りが何と言おうが、自分が”幸せだ”と感じられているのであれば、それが一番ですよ。
わたしがエネルギーを抑圧している方を見て”もったいないな”と思うのは『自分が楽しいと思えることを楽しめなくなること』にあるんですよね。
毎日を「楽しいー!!!」って生きられていたら「あぁー!楽しかったー!!!」って人生を終えられると思うんですよ。
全く後悔のない人生って難しいかもしれないけど、終わり良ければ総て良しで最期に「楽しかった!」って思えたら、それはもう万々歳なんじゃないかなって今のわたしは思ったりするわけです。
わたしにとってはそのくらい「楽しい」ってことが大事ってことなんですけどね。
他人にそう思うのなら、まずは自分がそういう風に生きろ!って話なんですけどね(笑)
安心安全にエネルギーを解放(放出)できる場所を作っていけたらいいなぁとぼんやり思っているのですが、まぁ、まずは自分がその経験と感覚を掴むところからだな。
*
エネルギーが強いからって何かこう壮大なことをしなきゃいけないみたいなことって別にないんですよね。
自分がただ「楽しい!」「興味ある!」「好き!」「面白い!」「やりたい!」と思うようなことをやれていればいいんです。
ただこういうのって”感じる”ものなので、抑圧してると、この”感じる”が上手くいかなくて訳わからなくなっちゃうんですよね。
幸せも同じね。幸せも”感じるもの”だからね。
だからまずは通りを良くするのがいいわけで、そのひとつが身体からのアプローチなわけですねぇ。
わたし的に手っ取り早いなと思う方法は”人(人目、人のエネルギー)を使う”です。
自立している方ほど”自分で何とかしよう”としますが、そこはご自身のエネルギー的にも人の手を借りた方が断然早いです。
どんだけ抑圧する力が強くとも、大勢のエネルギーとか場のエネルギーにはさすがに敵いませんからねぇ。
ただその分、抵抗も強く出るだろうし、怖れも大いに出てくると思いますけども(笑)
個人的には師匠のやってるリトリートとか1DAYがとってもオススメです。
また9月に3日間のリトリートやるらしいですよ!
まっ、それも結局”信頼する”ってことが大事になっているので、そこはチャレンジですよね。
自立しすぎるには自立しすぎるだけの心理的理由があるわけですが、それでも「もう一度、人を信頼してみよう!」とする勇気は要りますね。
そのチャレンジってとっても大きなチャレンジだし、自分を大きく成長させてくれるし、多くの人に貢献するチャレンジでもあるので、ぜひ経験してみて欲しいなと個人的には思います。
わたしも師匠をはじめ何名か「この人なら、信頼できる」と思える人を見つけて、都度都度お世話になってます。
そうした経験からお伝え出来ることもたくさんありますので、気になる方はセッションやグルコンなどご利用いただけたらと思います^^
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