依存的な自分をもの凄く嫌っていたわたしが最近気付いたこと
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ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんにちは!
カウンセラーって面白い仕事だなと思うことのひとつに、自分の全てがネタになるということがあるとわたしは思っています。
なんかやらかしてもネタにしかならないんですよねぇ。
こんなおいしい仕事あります???
・・・あるか。(あるんかい)
今はそうでもないかもしれませんが、芸人さんって人生のあらゆる出来事を「笑い」に変える仕事だったりするんですよね。
笑いって最高のヒーリング(癒し)と言われているんですけど、どんな悲劇も喜劇に変えられれば、それはもう悲劇じゃなくなるんです。
言い換えるなら、どんな問題も笑いに変えられれば、それはもう問題ではなくなるということですね。
「そんなこともあったよねー」って笑い話に出来れば、それはもう癒し完了ってことなんですよね。
わたしはそんな風に笑えるアナタになってもらえたら嬉しいなと思いながら、日々カウンセラー活動をしております。
*
さて、ここ最近、何かをやらかしたってわけではないのですが、ふと気付いた自分事をひとつお話したいなと思って、本日は筆を執っております。
ある意味、懺悔でもあります(真顔)
そういえば、カウンセリングってルーツをたどっていくと教会で行っていた懺悔が元となっているという説を見た気がします。(気がするだけかもしれない)
カウンセリングを懺悔する場所、つまり、自分が犯した罪の告白する場所とするならば、カウンセリングの場は自分の罪悪感を手放す場所ってことなのかもしれませんね。
・・・話が脱線しました。戻します。
わたしはですね、ずっと、依存的な自分というものをもの凄く嫌っておりました。
もうかれこれ10年以上前の話になるのですが、わたしがまだ学生だった時の話。
その頃からハードワーカー(?)だったわたしはですね、バイトをやりつつ、色彩検定の勉強をしつつ、先輩の劇団の旗揚げ公演の手伝いをやりつつ、学校の実務実習に追われる日々を送っていたんですね。
夏休みにもかかわらず、実習のためにほぼ毎日学校へ行ってました。
おかげさまで、先生達と仲良くなったんですけどね。
それがね、良くなかったんです(真顔)
ある日、教室で実習の作業をしていたのですが、少し空き時間が出来たんですね。
疲れが溜まってたとこもあって、椅子を並べて、その上で寝てたんです。
そこにですね、当時好きだった"彼女持ちの先生"が来たんですね。
その時、わたしは寝ぼけてたのもあり、疲れがピークだったのもあり、疲れで気が緩んでたのもあり、もの凄ーく甘えたくなって、傍に座った彼に甘えてしまったんです。
(甘えたって何したかというと、勝手に彼の太もも?膝?を枕として拝借したという・・・あぁ、恥ずか死ぬっ!!!!!!!!!!!)
「あれ?わたし、何してるんだ?」ってハッとしてすぐ離れたんですけど、当時のわたしにとって"恋人でもなんでもない人にそういう甘えを出す"というのはタブーで、あり得ない出来事でした。
甘えを出したところで何の解決もしない、意味がないってずっと思っていたので。
ただそれを機にですね、一回やってしまったものはもうしょうがないと謎の開き直りを得て、わたしは彼にわたしなりの"甘え"を出すことが多くなっていったんですね。
ある時「このままじゃわたしはダメになる」ってふと目を醒まして、当時、そのことを相談していた男友達の好意をある意味※利用して、その先生からは離れました。
(※男友達に「彼のこと完全には忘れられてないけど、それでも良ければ付き合う?」ってズルい質問をして、付き合って貰いました(真顔))
・・・自分で思う自分の嫌な部分を曝け出しまくってて吐くどころか吐血しそうなんですけど(白目)
まぁそれはさておき。
それから「本命がいる人(彼女のいる人)に甘えを出した最低な自分」がわたしの中には居て、そこには「本当は甘えたい自分」っていうのがずっと隠れて居るんですよね。
彼女さん(もしくは奥さん)の立場の方からすると、ものすごく不愉快だろうと思います。
嫌な気分にさせてしまっていたら、ごめんなさい。
そんな最低な自分だから、本当は甘えたい自分を出したらダメだって、ずっと思っていました。
甘えることも、
すがることも、
嫉妬することも、
未練がましくなるのも、
独占したくなることも、
口に出さなくてもわかって欲しいと思うことも、
守って欲しいって思うことも、
愛されたいって"ワガママ"を言うことも、
幸せになりたいと思うことすらも、
わたしにとっては絶対出しちゃいけないタブーなものであり、贅沢なことでした。
"わたしなんか"がそんな贅沢言うなよ、ってずっと鞭打ってました。(こわいね?)
ただそれは"わたしがわたしに"タブーとしているだけであって、
わたしが思う甘えを出している他の人に対しては、
「人間らしくていいな」
「それを出せる環境にいてよかった」
「あなたには甘えられる人がいてよかった。」
「わたしみたいにつらい思いしてなくてよかった」
ってホッとする時もあれば、
「出せることが羨ましい」
「甘えるな」
「人としてドン引きだ」
って自分の調子が悪かったり、ゆとりがないとイライラしてしまうこともありました。
だけど、基本的には、
「あなたはわたしみたいじゃなくてよかった。どうか幸せであって欲しい。」
という気持ちが、とてもとても大きかったんです。
それってもうなんかわたしは"わたしが幸せになること"を諦めてしまっていたんですよね、心のどこかで。
「わたしにそれは望めないことだから、どうかあなたは幸せであって欲しい」って思っていたんです。
だけど、心の深ーい奥底ではどうしても諦めきれなくて、とっても苦しかったんですね。
ずーっと、ずーっとそんなことを思いながら生きてきたので、今更「幸せになる」とか「幸せを望む」とか「幸せを許可する」ってことが怖くて仕方ないんですよね。
まっ、わたしは諦めが大変悪い人なので、怖い!怖くて仕方ない!と言いながら、絶対に諦めないし、諦め切れないんですけどね☆
先生とのことは「本当は甘えたい自分」の存在を自分自身に気付いて欲しくて、起こした出来事なんだとわたしは思っています。
「本当は(親に)甘えたい自分」がもうずっと小さな頃から閉じ込められていたから。
そしてそんな自分をめちゃくちゃ嫌って、タブー視して、罰して、鞭打っていました。
わたしが思う「依存的なわたし」はこの「本当は甘えたい自分」なんですよね。
*
でね?本題はここからなんですけど。(えっ)
わたし、ふと思ったんです。
果たしてわたしは自分がそんなに忌み嫌うほど「依存的」なのだろうかと。
わたし、恋人が出来ると「自分がダメになる」とか「何もしなくなる」と思っていたんですけど、好きな人や恋人のことを考える時間は増えたとしても、なんだかんだやることはやってたなって。
仕事にしろ、日常生活にしろ、恋人以外の人付き合いにしろ、大事な大事な推し活にしろね。
先程の彼に甘えてた時も、甘えることはあれど、バイトも実務実習も劇団も色彩検定の勉強も必要最低限やることはやってたなって思ったんです。
恋人とか好きな人オンリーになることってなかったし、相手の携帯見たいとかも思わないし、24時間常に監視(?)しときたいとかもないし、むしろそれはわたしがされたら困るし(笑)
会いたい、寂しい、甘えたいって思うことは増えるだろうけど、日常生活に支障をきたすほど、その想いに溺れるってことはないんじゃなかろうかと、なんかふと冷静に思ったんです。
実際はわからないですけどね?
そこまでなるほど熱烈に人を愛したことがない寂しい人間って言えば、それはそうなのかもしれないし、
意外と大丈夫なんじゃないかと蓋開けてみたら、自分がとんでもない束縛野郎(?)かもしれないし、
恋人となる人のことが好きすぎて、本当に何も手につかなくなるかもしれないし、
それって本当「どうなるかわからない」んですよね。
やってみなきゃわからん、そうなってみなきゃわからん、ってやつです。
じゃあ、そんな過度に心配したり、怖れたり、不安がらなくても、とりあえず経験してみるというか、試してみてもいいんじゃない?って思ったんですよね。
だって、わからないんだもん、今は何も。
わたしが勝手に「ダメになる」と思い込んでいるだけで。
これまで生きてきた人生で、もちろん依存的な部分はあれども、どちらかと言えば自立的な部分が多かったわたしを信頼してみてもいいんじゃないかなって、思ったんです。
むしろ自立し過ぎて、あれこれ問題を起こしまくっている人生ですし(真顔)
どんなに甘えたとしても、なんだかんだ自分のことは自分でやるだろうと。
そもそも自分でやりたい人だろうと。
自由に自分のやりたいようにやりたい人なんだから、そんな自分を信頼してみてはどうだろうかと。
そんなことをね、思ったわけです。
大事なのはここからで。
そう思ったら、依存的な自分をそこまで忌み嫌う必要ないんじゃないかって思ったんです。
だって、やることはやってるし。
自分が思う「何もしないダメな自分」になってるわけじゃないし。(今までのところ)
心底嫌って、鞭打って、罰して、罵倒して、ってしてきたけど、そこまでのことじゃないなって思ったんです。
これがね、結構デカいと思うんですよ!!!
それって、つまりは、そんな自分を許せたってことなんです。
もちろん、完全に許せたわけではないと思います。
でも、少なくとも「今は」許せているなって。
また許せない時や許せなくなる時があるかもしれません。
ただ、一回許せるとね、それが成功体験になりますから。
「そうは言っても、一回許しちゃったしな」って思えたりもするわけです。
そういうのを何度も何度も繰り返して、自分の幸せに向かっていくんだろうなってわたしは思っています。
ほら、わたし、諦め悪いから!!!(笑)
なんだかんだ自分の幸せに貪欲なのでね(ドヤ顔で)
とはいえ、やっぱり怖いものは怖いですね。
怖れながらもわたしなりに、わたしらしく、周りの人達に助けてもらいながら進んでいこうと思っております。
本当は甘えたい気持ちがいっぱいな K!naCo の懺悔でした。
K!naCo - きなこ -