わたしはずーっと「祖母との約束」を守っていました。
カウンセラー K!naCoです、こんばんは。本日もわたしはヲタクです。
わたしの推しグループ「WINNER」のリーダーカンスンユンが3月29日(月)にカムバすることは以前お伝えしたのですが、本日そのフルアルバムのトラックリストが解禁されましたー!
全12曲 ユンちゃんの自作曲ですっ!!!
Feat.(=featuring=フィーチャリング)が数曲ある中、WINNERのメンバーであるソンミノとの楽曲は「with MINO」って表記されてて泣きました。
何これ胸熱すぎない…?!やっぱりWINNER最高だな…!?!?
▼公式で出たトラックリスト。6番目がミノくんとの曲です!
(久々にちゃんとユンちゃん見たけど(?!) やっぱりスタイルいいよね。
WINNERことうぃのちゃんはみんな、高身長でスタイルめっちゃいいんだよ。尊い…!(?))
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わたしは随分と前に「幼少期のわたし」について書いたことがあります。
◆自分自身を振り返る①〜幼少期のわたし〜 - K!naCo - きなこ -
この記事の中で「祖母との出来事」を書いているんですが、それがずーっとわたしの中に残っていて、いろんな出来事に影響していたんだなぁということに最近気付きました。
本日はそのお話を書き残しておきたいと思います。
*
どんな会話だったかは正確に覚えていません。
わたしが何歳だったのかもわかりません。
ただわたしの中で、
・祖母が泣きながらわたしを抱きしめたこと
・祖母に「(わたしの)母を大切にして欲しい」とお願いされたこと
・「母はわたしが守らなくちゃいけない」と強く思い込んだこと
だけはずーっと残っていたんです。
祖母がどういう意図でどんな言葉をわたしにかけたのかはもう今となっては知る由もありません。
ただ大好きな祖母との約束である「母を守る」をわたしはずーっと守ってきたんです。
当時のわたしにとって「母を守る」は「母に悲しい思いをさせない」ことでした。
*
小学3年生の時、わたしはいじめに遭いました。
仲間外れにされ、とことん無視され、持ち物を盗まれ、陰口を言われる日々でした。
とっても心優しい天使のような友達がわたしを救ってくれたので、完全なる一人ぼっちにはなりませんでした。
あの時、一緒に居てくれた「彼女」には今でも感謝しています。
彼女がいてくれたから、わたしは毎日学校に行くことが出来ました。
彼女がいてくれたから、わたしの気持ちはとても救われました。
この出来事が、わたしに何を伝えたいのか、わたしにはずっとわかりませんでした。
それが最近、ようやくわかったんです。
わたしは、そのことを、いじめに遭っていることを、母に言えませんでした。
母に言えば「悲しませるかもしれない。傷付けるかもしれない」そう思って言えませんでした。
その時はわからなかったけど、今にして思えば、それは「祖母との約束」を守るためでもありました。
「母を悲しませない、傷付けない」ことで「母を守って」いました。
たとえ、自分が、どんなに傷付いていても。
それだけわたしは祖母のことが大好きだったし、母のことも大好きだったんです。
過去形にするのも、なんか、変ですね。
わたしは、今でも、祖母が、母が大好きです。
そのことに気付いた時、わたしは決めました。
祖母が、母が、大好きで、愛しているからこそ、わたしはもう「自分を傷付ける守り方」はやめる、と。
きっと、祖母も母もそんなことは望んでいないと思うから。
わたしは「自分が幸せになること」で母を幸せにしよう、そう決めました。
先日、祖母のお墓参りに行ってきました。
「わたしはもう戦って母を守ることはやめるね。」
「わたしはわたしが幸せになることで母を幸せにするね。」
「おばあちゃんとの約束はやり方を変えて守るね。」
そう、祖母に伝えてきました。
祖母はきっと、これからもわたしを見守ってくれていると思います。
*
ずーっと、ずーっと、昔の。
小さな、小さなわたしがした「大好きな祖母との約束」
それをずっと自分なりのやり方で健気に守ってきたわたし。
たくさん、たくさん、傷付きながら、頑張ってきたよね。
もう戦わなくてもいいよ。もう、許されていいんだよ。
もう、わたしは、幸せになっていいよ。
***
自分では思いもよらない、他人からしたら些細かもしれない、
そんな出来事が、ずーっとアナタに「何か」を気付いて欲しくて、
なんらかの影響を、今現在にまで及ぼしていることがあります。
それが一体何なのか、ちょっと一休みして過去に思いを馳せてみませんか。
▼ 近々【ココロの四阿(あずまや)】始めます。
K!naCo - きなこ -