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自分自身を振り返るシリーズ〜幼少期のわたし編〜

 

K!naCo自身を振り返る〜幼少期のわたし編〜

 

ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援する

ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんばんは!

 

 

今に目を向けて楽しむことも大事ですが「子供のわたし」を癒していくこともまた大切なプロセスだとわたしは思っています。

 

ということで。

 

どうしてわたしが「自分で自分の存在価値を認められなかった」のかわたしなりに考えてみようと思います。

 

 

本日は「幼少期のわたし」を振り返ります。

 

 

わたしは出産予定日から一週間経っても出てこず、最終的には吸引器で引っ張り出され、この世に生を受けました。

 

父と母、そして6歳上の姉の元に末っ子として生まれたわたしは大変可愛がられていたそうです。

 

今でこそ母親譲りの二重まぶたですが、生まれた当初は綺麗な一重で目つきが悪くまた髪の毛が多かったことからそれはそれはもう「バッドばつ丸くん」にそっくりでした(笑)

 

末っ子として生まれたわたしですが、小さい頃から2歳下の従姉妹と3歳下の従兄弟と過ごすことが多かったため「面倒見の良いお姉さん」をしていました。

 

よく下二人を連れて祖母の家にお使いに行っていた思い出があります。

 

わたしが物心つく頃にはもう小学生だった姉とは一緒に遊んだという記憶がほとんどありません。

 

「末っ子だけど長女気質」なのはそういう環境から来ていると思います。

 

* 

 

話は変わるのですが。

 

となりのトトロ」ってあるじゃないですか。某ジブリの(某の意味)

 

 

わたしが何歳の時だったかはっきり覚えてないのですが、ある日、祖母とわたしが「トトロ」を見ていた時のことです。

 

突然、祖母がわたしを抱きしめて、

 

「貴女のお母さんは健康でよかったね。お母さんを大切にしてあげてね。」

 

と泣きながら言ったのです。

 

今となってみれば、祖母はサツキちゃんやメイちゃんのお母さんを通して「誰かを見ていた」んだと思います。(投影ですね。)

 

それはもしかしたら祖母自身だったのかもしれないし、祖母の母親だったのかもしれません。

 

当時のわたしにそんなことわかるはずもなく大好きな祖母が泣きながら訴えかけてきた言葉を「文字通り」そのまま受け止めたのです。

 

 

「わたしがお母さんを守らなきゃ。」

 

 

祖母のお手伝いをしながら、母を守り、下2人の面倒を見る。

 

幼いながらもわたしに出来ることを一生懸命やっていたのですね。

 

 

母はよく昼寝をしていたのですが、わたしはいつもその傍で遊んでいました。

 

母が起きないように、人形などを使って自分の中に想像の世界を作り、その中で遊んでいました。

 

身体は傍にいるけれど、心はどこか遠いところにあるようでした。

 

 

「母が寂しくないようにいつも傍にいてあげなきゃ」と当時のわたしは思っていたのですが、

 

 

本当に寂しいのは他でもない「わたし自身」だったのですね。

 

 

わたしがしっかりしなくちゃ

わたしは良い子でいなくちゃ

祖母や母の役に立たなくちゃ

 

 

そんな想いを抱えたわたしはいつしか「しっかり者のわたし」を演じるようになりました。

 

本当はもっと甘えたかったんだろうな、わたしは。

 

祖母や母の顔色を伺わずに思う存分、我が儘を言いたかったのかもしれません。

 

祖母や母に甘えたかったのかもしれません。

 

子供ながらに「寂しさ」を抱えていたのかもしれません。

 

 

こうして見てみるとわたしは随分と寂しい思いをして来たんだなぁと思います。

 

誰も悪くないだけに何とも切ない気持ちになりますが、そんな寂しさを抱えながらも頑張っていた「幼いわたし」を褒めてあげたいと思いますっ!!

 

 

本当は寂しかったよね。

 

思いっきり甘えたかったよね。

 

それを我慢できたのは「愛」があったからだよね。

 

 

アナタはとても「愛に溢れた人」

 

 

もう大丈夫だよ。寂しくないよ。

 

 

アナタはもう頑張らなくていいんだよ。

 

 

 

今のわたしから幼いわたしへ。

 

 

 

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