わたし K!naCo がカウンセラーに至るまでの
【現場至上主義の行動派ヲタクが送るカウンセラーへの道】
とくとご覧あれ!!
<目次>
~プロローグ~
「えっ?!?!怖っ!!!!!」
それは師匠である根本裕幸先生のDVD「カウンセラーなら知っておきたい心理学基礎講座」を観ていた時でした。
根本師匠に弟子入りするにあたり講座が始まるまでの間「事前にDVDにて予習をする」という課題があります。DVDは根本師匠が心理学用語を解説するというものです。
その中に「Vision(ヴィジョン)」という用語が出てきます。
(「Vision」とは、今の自分と目指したいものが繋がっている状態のこと。)
この「Vision」について説明している根本師匠の話を聞いていた時、突然ポンッと過去の出来事が走馬灯のように駆け巡りました。
「あっ、今まであった出来事の全てに意味があったんだ。」
ふとそう思いました。
点と点だと思っていたものが自分の中で綺麗な「一本の線」に繋がった時、「もしかしたらカウンセラー(心理学)はわたしにとってVisionなのかもしれないのでは…!?」と、とんでもない衝撃を受け、それと同時に強烈なワクワク感を感じました。
これが『わたしの不思議体験』でした。
なぜそう思ったのか。どのようにして点と点が繋がったのか。
それをこれから少しずつお話ししていこうと思います。
~エピソード①~
「カウンセラーとか向いてるんじゃない?!」
そう言われるようになったのは小学生の頃でした。
なぜかわたしはお悩み相談を持ちかけられることが多かったんですね。
小学生時代のお悩み相談といえば!?ずばり!恋愛相談ですよね!(?)
その当時、わたしにはある特技がありました。
それは「目線で誰が誰を好きなのか」察すること、です。
わたしは小さい頃から祖母や母に「他人のやってることをよく見なさい。他人の立場になって考えなさい。他人の話は目を見てよく聞きなさい。」とよく言い聞かされて育ちました。
そのおかげか物心がつく頃には「他人の感情や状況を察する力(洞察力)」が身に付いていました。
学校という狭いコミュニティの中で恋愛対象も限られているとなると「誰かの好きな人を察すること」はわたしにとってそれほど難しいことではありませんでした。
目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、大体目線を追えばその先には想い人がいるんですよね(笑)
よく話題に上がる「好きな人は誰か?!」の問いに、わたしが「◯◯が好きなんでしょう〜?」と核心をついてじわじわ尋問するのが楽しかったです(悪趣味)
わたしには嘘をついても無駄だと思うのかみんな素直に相談してくれたのを覚えています。
恋する女の子って可愛いですよねー(はぁと)
人の話を聞く、相談に乗ることが多かったからか、この頃から心理学に興味を持ち始めました。
と・こ・ろ・がっ!
わたしは「インテリアデザイナー」になることを目指します。
将来の夢を目指すにあたりまず訪れたターニングポイントが「高校受験」でした。
~エピソード②~
中学生時代、自己肯定感が著しく低かったわたし。
「わたしなんかいなければよかったんだ。」と本気でそう思っていました。
そんなわたしにできることは「なるべく早く働きに出て手に職をつけること」だと信じて疑いませんでした。高校の進路を決める時、早く働きに出ることを念頭においていたわたしにとって「普通科に行く」という選択はあり得ませんでした。
当時「インテリアデザイナー」を目指していたわたしは「工業科」に進学することを希望します。
しかし、わたしには6歳上の姉がいるのですが、姉にこの進路を反対されます。ならば「商業科」に行く!と言うとこれまた反対されます。
普通科だけは絶対行きたくないと言い張るわたしに姉が提案した進路先が「総合学科」でした。
わたしは姉にこの提案をされるまで総合学科というものを知りませんでした。
(ちなみに、総合学科って全国的なんですかね…?)
簡単に説明しておくと、2年生から自分が取りたい授業を選択して時間割を組めるという大学のような高校です。大学で言うゼミみたいなものもあります。(説明になってるのか、これ)
結果的にわたしは「総合学科」を選びました。
*工業科
*商業科
*総合学科
この三つの選択肢が今後とても重要になってきます。
そして訪れる第二のターニングポイント「高校卒業後の進路」
~エピソード③~
「総合学科」に進学することを決めたわたし。
学校から推薦をもらえたわたしは面接と小論文で入試を突破し、結局受験生らしい受験勉強もすることなく無事に進学することができました。
高校1年生の夏、わたしはオープンキャンパスに行きます。
わたしが行った大学はなんと「心理学」が学べる学校でした。
「素敵な学校!ここに行きたい!」ととても心踊りました。
だがしかし。
オープンキャンパスから数ヶ月後、わたしは「演劇部」に入部します。
初めは人手が足りないから手伝ってほしいと頼まれたのがきっかけでした。
中学時代、放送部だったわたしは音響のお手伝いとして演劇部に足を踏み入れます。
これが、まぁ、モノの見事にハマるのです
わたしが初めて関わったお芝居は先輩の一人芝居でした。
それがまぁすごくカッコよくって!!!!!
「一つの作品をみんなで創り上げていく」過程はものすごく大変だったのですが、本番を迎えた後の達成感とまだまだ何か出来たんじゃないかという悔しさはわたしにとってとても「クセ」になるものでした。
結局、お手伝いから正式に入部になり、気付けば高校生活はどっぷり演劇に浸かってました。
勉強そっちのけで演劇三昧だったわたしにも進路を決めないといけない時は来るわけです。
選択授業で心理学を学んだり、オープンキャンパスで行った大学に推薦で行くことを目指してみたりもしたのですが
・臨床心理士になるには大学院までいかなければならないこと
・オープンキャンパスで行った大学には院がなく臨床心理士にはなれないこと
・そもそも学力の問題(演劇に熱中した結果)
がネックとなり、この道を諦めます。
この時のわたしは「資格がなければ仕事が(就職先が)ない、カウンセラーとして食べていけない」と思っていたんですね。
音響の道に行くこともチラッと考えたのですが「やはり仕事がない、食べていけない」と諦めました。
高校2年生になる前の春頃、大好きな祖母が亡くなったということもあってか「なるべく早く働きに出て手に職をつけたい」という思いがより強くなっていたわたしは結局ここでもインテリアデザイナーを目指すことに決めるのです。
そうしてわたしは「建築科のある専門学校」へと進学するのでした。
これが1度目のカウンセラーを諦めた「点」です。
~エピソード④~
建築科のある専門学校へ進学したわたし。
二級建築士の資格を取るために3年間専門学校へ通う予定でした。
しかし、結果的にわたしは「2年」で卒業します。
2年生の卒業間近の時期に、わたしは家庭の事情により進学を諦めたのです。
今思えばわたしはずっとお金軸・親軸に振り回されていたのかもしれません。
進学予定が急な進路変更により卒業1ヶ月前にも関わらず、急に就職活動をすることになったわたし。
あれだけ早く働きたいと思っていたのにいざ働きに出るとなると、とても怖くて不安で自分で決めたはずなのに覚悟が全然出来ていませんでした。
この頃のわたしはボロボロでした。
しかし、昔から人徳だけはあったわたし。
その当時とてもお世話になっていた先生と話していた時、何気なくポロッと呟いた言葉から、あれよあれよという間に面接が決まり、なんとそのまま就職先が決まります。
初めての就職活動は2週間で終わりました。
結局、インテリアデザイナーにも建築士にもなることは出来ませんでしたが、建築の知識が活かせる技術職へと足を踏み出しました。
専門学校で学んだ知識を活かせる職業だったので早くから仕事を任せてもらったのですが、気持ちが追いついていなかったわたしはよくミスをしていました。
自分を責め、挽回するためにただひたすらがむしゃらに頑張りました。
それがわたしにできるお世話になった方々への「恩返し」だと思っていたのです。
~エピソード⑤~
建築の知識を活かせる技術職に就いたわたし。
両親や身内、お世話になった先生への「恩返し」になると思ってがむしゃらに働いていたわたしでしたが、それだけで頑張るにはやはり無理がありました。
仕事でもプライベートでも色んなことが重なって疲れ切ってしまったわたしはある日とうとう限界を迎え会社に行けなくなりました。
この時、根本師匠のブログに出会って2年ほど経っていたと思います。
今になって考えてみると、徐々に自分軸や自己肯定感を高めていたわたしが「他人軸」で頑張れなくなった結果だったのかもしれません。
辞めたいと思いつつもいつまでもズルズル踏ん切りがつかなかったわたしに色んな問題を起こして辞められるように仕向けてくれたのかも?
出勤出来なくなって数日後、会社の人と相談し、結局わたしはそのまま退職することになりました。退職の日、一人一人と挨拶を交わしていた時、ある女性の先輩がこんな話をしてくれました。
「自営業をやってる彼氏が今カウンセラースクールに通ってて、わたしも通う予定やねん。もしこういうのに興味があるなら行ってみたらどうかな。」
と。
はい、出てきました「カウンセラー」!!
ゾクっとしました?(してない)
どちらの先生のスクールだったか失念してしまったのですが、これには驚きました。
わたしはこの先輩と心理学やカウンセラーの話をしたことが一度もありません。
わたしがあまりにも疲れ切っていたからか、心配してその話をしてくれたのかもしれません。
先輩の真意はわかりませんが、わたしはこの時「わたしはやっぱり心理学がしたいんだな」と思いました。
小学生の頃から建築の世界を目指して十数年。
わたしはここで「建築」に終止符を打ちました。
~エピソード⑥~
「建築」に終止符を打ったわたし。
退職してからしばらくの間はただひたすら寝ていました。
寝て起きてご飯食べて寝てまた起きてご飯食べて寝る、ただそれだけの日々でした。
長年の睡眠不足を解消するかのごとく眠っていたような気がします。
退職後の手続き等も終えて、失業保険を貰いながらしばらく過ごしていましたが「そろそろ動かないとなー」と考えていた時、ハローワークの人に相談に行きます。
そこで紹介してもらったのが「職業訓練校」でした。
失業保険を貰いながら再就職するために新たなスキルを学ぶのですが、その時わたしが紹介してもらったのが「総務・経理」コースでした。
「新設されたばかりのコースだけどただの事務員を目指すよりはちょっと専門的な経理とかいいと思うよー」と相談員さんにオススメしてもらったのです。
実は退職する少し前「自分探し」をしていた時にわたしは「お金」の勉強を始めてました。
きっかけは姉に読んでみたら?と貸してもらった本だったのですが、その本を読んでわたしは投資信託を始めます。
目標もなくただ勉強するのもなーということでファイナンシャル・プランナー(FP)を目指して勉強し、とりあえず3級を取得しました。
この時の知識が退職時に役立ったのでこれも実は退職への伏線だったのかも?
そんな流れもあり「お金を扱う経理って楽しそうだな!興味のある分野だしありかも!」と思い、総務・経理コースに応募することにしました。
先輩が話してくれたカウンセラースクールの話はどこへいったのやら(笑)
この時のわたしにはまだ心理の分野に「お金を払う勇気」がなかったんですね。
興味はあるけど踏み出す勇気は出ない、まだそのレベルでした。
これが2度目のカウンセラーを諦めた「点」です。
~エピソード⑦~
職業訓練校に応募したわたしをまず待ち構えていたのは試験でした。
職業訓練校にも定員があり、わたしがオススメしてもらった総務・経理コースは倍率約2倍でした。試験内容は簡単なテストと面接だったのですがまぁグダグダでした(笑)
これはダメかもしれないなと思いましたがなんとか無事に合格します。
そうしてわたしは半年ほど職業訓練校に通うことになりました。
年齢も経験も様々な人が約30人ほど集まったクラスで男性は1人だけでした。
女性ばかり集まっていたので毎日ワイワイと楽しかったです。PCの基本スキルや経理の勉強だけでなく、1分間スピーチや挨拶など社会人としての基礎スキルも改めて学べて、わたしにとってはとても良い経験になりました。
色んなスキルを学ぶ中でわたしは「簿記」に出会います。
簿記ってその仕組みを理解するまでに好き嫌いが分かれる分野のようなのですが、元々数字に抵抗がなかったからかわたしにはスッと馴染みました。
母が商業科出身で簿記をやってたことも関係しているのかもしれません。
簿記の仕組みを考えた人って本当に天才だと思うんですよ。
基本的な仕組みを理解した後、問題を解くと「なるほど!すごい!」ととても感動したのを覚えてます。
簿記って日本だけでなく全世界共通なんですよね!!!
凄くないですか?!感動しませんか?!(しませんか、そうですか)
仕組みを理解すればするほど、どんどん面白くなってきたわたしは「経理職」を目指すことを決めます。そろそろ本腰を入れて就活しないといけないという時に、簿記を教えてくれていた先生が「簿記が好きなら会計事務所とかいいと思うよ。
色んな会社の経理を見れて面白いよ」とアドバイスをしてくれます。
わたしは「経験にもなるし今後にも繋がりやすそうだからいいかもしれないな」と思い、先生のアドバイス通り会計事務所に狙いを定めて就活を始めました。
そしてご縁があり本当に「会計事務所の事務員」になるのでした。
~エピソード⑧~
希望通り会計事務所の事務員になったわたしですがそう長くは続きませんでした。
わたしには「事務職」が向いていなかったのです。(えっ!)
仕事として「こなす」ことはできるのですが、元々淡々と同じことを繰り返すことが好きじゃないわたしにはだんだんとそれが苦痛になっていきます。
顧問先の仕事は学びが多く、簿記の知識も活かせるので、とても楽しかったのですが、事務所の事務作業がわたしには合いませんでした。
(今になって思えば前職でも事務作業が嫌いでした。)
職業訓練校時代の友達に相談しながらなんとか頑張っていたのですが、どうしてもわたしとは合わない部分がいくつかあり「もう無理かもしれない」そう思っていた時に見たのが、根本師匠の「お弟子さん制度3期」の告知でした。
「大阪で開催します」の文字をみてわたしはすぐ「これはやるしかない!!!」そう思いました。
それを見たのが年末。
それから年が明け、新年早々わたしはまたもや仕事に行けなくなるのです。
そしてそのまま「退職」します。
その時わたしは「正社員」として働く自信をなくしました。
「二度あることは三度ある。」
・わたしはまた会社に迷惑を掛けるのではないか
・わたしはどこで働いても上手く出来ないのではないか
・わたしはどこにいっても駄目なのではないか
思考ではそう思い、自分を責め、自ら傷付けていました。
働くことが怖くなったわたしですが、お弟子さん制度に応募する気だけは満々でした。
「絶対にお弟子さんになる!」と。
奨学金を繰上げて完済するために貯めていたお金を使うことになっても、それで貯金がなくなっても、仕事を辞めたために収入がない状態でも、それでもいいから「やりたい」と。
とうとうわたしの中で「お金を使う怖さ」よりも「やりたい気持ち」が上回ったのです。
わたしはずっと母に「カウンセラーになりたい」と言うことに抵抗がありました。
お弟子さん制度を受けたいと勇気を出して打ち明けた時、母は「ええやん」と一言わたしの背中を押してくれました。
その時わたしは「きちんと自分と向き合うこと」を覚悟します。
こうして早々に「経理」の道へ別れを告げたわたしは、「カウンセラーの道」へ一歩踏み出したのです。
さて、そうして今に至るわけですが。
みなさん、「点」と「点」は線になりましたか?
~エピローグ~
みなさま、覚えていらっしゃいますか?
わたしが高校進学にあたり悩んだ三つの選択肢を。
①工業科
②商業科
③総合学科
これを見て何かピンと来ました?
さすがにまだ来ないですかね?
では、これではどうでしょう。
①工業科(建築)
②商業科(経理)
③総合学科(心理)
何かハッとするひらめきがありました?
そう、実は、わたしは、
「無意識」のうちにこの三つの選択肢を全部、身を持って体験していたのです。
1度目の「点」を思い出して下さい。
高校卒業後の進路を決めた時わたしは「建築」か「心理」か迷った結果、
「建築(工業)」を選びました。
2度目の「点」はどうでしょう。
最初の職場を退職後、ハローワークの職員さんが教えてくれた「経理」か先輩が教えてくれた「心理」か考えた結果、
「経理(商業)」を選びました。
そして、どちらも辞めています。
最終的に選んだのは、やはり「心理」だったんですね。
わたしが進学したのも「総合学科」でしたよね?
「点」と「点」が「線」になりましたでしょうか?
根本師匠の「Vision」の話を聞いていた時に、わたしはこの事に気付きました。
それぞれに選択してきたつもりだったけれど、わたしは無意識のうちに「わたしが目指すのは心理であること」をちゃんと実証していたんです。
その時々の選択は全てここ(心理)に行き着くための「一本の道」になっていました。
とはいえ。
本当にこれが「正解」かはまだわかりません。
わたしは「カウンセラーをやるためにここまできたんだー!!!」と今は言っていても何年後かのわたしはどうなっているかわかりません。
それは、これから、証明します。
なのでこの「カウンセラー道」はまだまだ続きます。
「カウンセラーこそがわたしのVisionだ!」
と胸を張って、自信を持って、言えるようにこの道を一歩一歩進んで行きます。
to be continued.
*最後まで読んで頂きありがとうございました*
K!naCo - きなこ -