K!naCo - きなこ -

ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援するヲタク専門カウンセラー

嫉妬心を掘り下げていったら、思わぬところに到達した話~姉を投影してたのは自分の罪悪感から目を背けるためだった~

 

嫉妬心を掘り下げていったら、思わぬところに到達した話~姉を投影してたのは自分の罪悪感から目を背けるためだった~

 

ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援する

ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんにちは!

 

爆弾低気圧、月の満ち欠け、PMS(ホルモンバランス)などなどにより大変不安定なわたくしです、はい。

 

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

わたしはというと、元気になったり、急にあれこれ思い出して泣き出したり、無性に腹立たしくなったり、羨ましくてしょうがなくなったり、とても情緒が不安定でございます(笑)

 

良いように言えば、感情の振れ幅がデカいってことですな。

 

感情の振れ幅がデカいってことは、それだけ感情を感じられる器がデカいってことなので、それでOKということにしときませう(?)

 

 

本当はもう今日もブログを書かず、自分を最大限に甘やかそうと思っていたのですが、なんだか急に、無性に、むしゃくしゃすると言いますか、吐き出さずにはいられない!みたいになったので、こうして筆を執っております。

 

書けぬなら

書けないことを

書けばいい

 

みたいなことを師匠がいってたので(盛大なる責任転嫁)

 

 

嫉妬心って悪いものじゃないとわたしは思うんです。

 

ただ、嫉妬してるだけなのはちょっと勿体ないかなとは思うんですよね。

 

嫉妬心って、自分の本当の望みとか、自分の本音とか、自分の価値観とか、自分が大事にしたいこととか、色んなことを教えてくれる感情なんですよね。

 

なんでね、「うらやましい!うらやましい!うらやましい!」って気持ちでいっぱいなわたしは、その”うらやましい”の中身を紐解いてみようじゃないかと思ったわけです。

 

思うがままに吐き出すので、お口悪くなるかもしれません(はぁと)

 

まぁ、元々、わたし、そんな上品な人じゃないんでね、知ってると思うけど(真顔)

 

 

何が羨ましいって、まずは”稼げてる”ことが羨ましいんですよね。

 

稼げてる、っていうとちょっと語弊があるんですけど。

 

わたしから見ると”上手くいっているように見える”のが羨ましいんです。

 

しかもそれが、なんというか、わたしの理に反する人と言えばいいのか、わたしのポリシーに反する人とでも言えばいいのか、

 

「なんでなん???なんでお前が???」

 

と個人的に思うような人だから余計になんかこうむしゃくしゃするわけです(THE 偏見)

 

あと、もうひとつ羨ましいなと思うのは、なんというか、自信満々な人っていうと語弊があるのだけど、目に見えぬ効果を言い切れる人って言えばいいのかなぁ??

 

そういう人を見ると、

 

「なぜあなた”が”自信満々にそんなこと言い切れるの???」

 

って思うんですよね。

 

良いですか、皆さん。

 

ポイントは「あなた”が”」ってところです(笑)

 

完全なる個人の感覚によるものなので、偏見でしかないんですが、ものすごく違和感を感じるんですよね、なんか。

 

ただそういう人ほど、いわゆる”上手くいっている”ように見えるんですよね。

 

正確には"上手くいってるように魅せるのが上手い"ように見える、かなぁ。

 

もちろん、それもわたしから見て、ってだけだし、そもそも”上手くいっている”ってどういう状態のことを言うのさ???って話なんですけどね。

 

 

あぁ、でも、あれかなぁ。やっぱりお金、かなぁ。

 

 

って今書いてて思いましたね。

 

「お金をたくさん得られてて羨ましいっ!!!!!」

 

っていうのはありますよね、ぶっちゃけ。

 

 

なんか、こう、なんていうのか、めっちゃ嫌な言い方をするならば、

 

「へぇー、その程度でお金を得られるんだ。」みたいなね。

 

「そんなんもう言ったもん勝ちじゃん。思い込んだもん勝ちじゃん。」みたいな。

 

 

えぇ、えぇ、そうです。単なる嫉妬です、はい。

 

 

”勝ち”って言葉が出てくる時点で、競争心満載ですよね。

 

どっちが良い悪いってわけじゃないって頭ではわかっているつもりでも、まだまだ張り合うところ(競争しちゃうところ)があるなぁ。

 

あと”根拠がないとダメだ”と思い込んでいるところがあるのかなぁ、わたしは。

 

 

もちろんね、わたしが嫉妬している人達はそれだけのことをやっている人達だし、そういう、なんていうのかな、お金の流れと言えばいいのか、そういう”流れ”を作るためにすごく動いてる人達ではあるんですよ。

 

ちゃんとやっている人、ってわたしが思うような人達なんです。

 

つまり、わたしは自分が”ちゃんとできていない”って思い込んでるわけっすな。

 

 

 

あぁっ!!!そうだ!!!

 

これ、”姉”だわ。

 

(唐突なひらめき)

 

 

 

姉と張り合っている部分が出てきてるんだわ。

 

お姉ちゃんはちゃんとしてる人。

わたしはちゃんとしてない人。

 

お姉ちゃんは何でもできる人。

わたしは何にもできない人。

 

お姉ちゃんは正しい人。

わたしは間違っている人。

 

お姉ちゃんは真っ当な道を進んでる人。

わたしは真っ当な道を進んでない人。

 

お姉ちゃんは大人な人。

わたしは子供な人。

 

 

姉とわたしは歳が6歳離れているので、わたしから見れば、姉は”何でもできる人”だったんですよね。

 

そんな姉と比べて、わたしは何もできない人なんです。

 

「そりゃそうだよね、6年も成長の差があるんだから」って頭では思ってもなかなかそうは思えないんですよねぇ。(これが厄介なやつだな)

 

姉の言うことは絶対、みたいなところもあったなぁ。

 

今思えば「なんでなんだろう?」って思うけど、姉が言うならそうしなきゃいけないみないな思い込みがあったんですよね。(今もあるかな。)

 

姉は優秀な人だから、姉が言うんなら間違いない、って思ってたなぁ。

 

なんでも「お姉ちゃんが正しい!」みたいなところがあったな。

 

怒られるのも姉よりわたしだった気がする(記憶の改ざんかもしれぬが。)

 

思えば我が家は「お姉ちゃんなんだから!」みたいなことを言われてたのは、姉よりもわたしの方だったかもしれないな。

 

年の近い従姉弟が近くにいたから、従姉弟に対して”お姉ちゃん”なのはわたしで、姉はもう思春期だったから、学校や部活、塾とかで一緒に遊ぶなんてことなかったもんな。

 

だから、姉はわたし達からすると”同じ子供同士”というよりは”大人”の部類だったな。

 

 

大人な姉、子供なわたし、っていうのはそういうのも関係してるんでしょうね。

 


 

 

ただ”何もできない人”で居るメリットってめちゃくちゃデカいんですよね。

 

 

だって、何もできないことにしておけば何もしなくて済むんだもん。

 

わたしは何もできない人だから、って”言い訳”が成り立つんだもん。

 

わたしは何にもできない人だから、って甘やかしてもらえるんだもん。

 

そりゃ、何もできない人のままでいる方がいいに決まってるよね。

 

何でもできる人になったら、”全部自分ひとりでしなきゃいけない”とも思い込んでるな。

 

まったりゆったりぬるま湯な温泉につかってるんだもの、わざわざそこを出て、ひとり戦場へとおもむくなんてことしたくないに決まってるよね(笑)

 

 

あの人達は上手くいってて羨ましい!って思うことで、自分はできない人だって思い込もうとしてたんだなぁ。

 

姉は何でもできる人。

わたしは何にもできない人。

 

そう思うことで、自分(の力)にブレーキをかけてるんだな。

 

 

 

あぁっ!!!!!なんで”稼げる人”が羨ましいのかもわかったぞ!!!

 

そして、やっぱり嫉妬している人達に見ているのは”姉”だな。

 

 

わたし、中学生の頃に、父が借金していることが発覚したんです。

 

わたしはまだ義務教育中、その頃、姉はもう大学生だったので、数年もすれば社会人に”なれる”わけです。

 

つまりは、自分でお金を稼げるようになるわけです。

 

かたや、わたしは絶対に進学しなきゃいけないというわけではないにしろ、まだしばらく学生な人=お金が稼げない人だったわけです。

 

えぇ、そりゃもう、壮絶な無力感を抱えましたとも(真顔)

 

家族がお金で困っている時に、何もできない=お金も稼げない”無力な子供のわたし”に存在する価値なんてないって思ったんですよね。

 

ホント、死のうと思いましたもん。何もできない自分が嫌すぎて。

 

結局ビビッて死ねなかった死にぞこないなんですけどね(わたしの闇深い部分)

 

 

わたし、自分を”稼げない人”にしておくことで、あの時、感じた、絶望的な気持ちから一生懸命、目を背けて、心を守ってたんだな。

 

 

あの時、家族がバラバラになったのは、わたしがいたから。

 

あの時、家族を救うことができなかったのは、わたしが無力だから。

 

あの時、家族が苦しまなきゃいけなかったのは、わたしに力がないから。

 

 

そういうことにしておかないと、心が壊れちゃうような状態だったんだな。

 

 

もし、本当は、わたしに何らかの力があるんだったとしたら、

 

もし、本当は、わたしに家族を救う力があったんだとしたら、

 

もし、本当は、わたしがいることで家族に貢献しているのだとしたら、

 

 

それにも関わらず、

 

 

家族が苦しんだっていうことに、

 

家族を救えなかったということに、

 

家族がバラバラになってしまったということに、

 

とてもじゃないけど、わたしの心は、耐えられなかったんだ。

 

 

もう少し手を伸ばせば”助けられた命”をほんのわずか届かなかっただけで、助けられなかったってなったらさ、自分が無力だってことにしとかなきゃ、とてもじゃないけど耐えられない、っていうのは何となく想像できるんじゃないだろうか。

 

手さえ届けば助けられていた、っていうことに向き合うのがどれだけ苦痛なことか。

 

だから、今も、自分のせいにするために”何もできない人”を証明し続けているのかもしれない。

 

 

ただ、今それに”気付けた”ってことは、もう、その贖罪を終えていいと思っているってことなのかもしれないな。

 

 

 

・・・わたしの中では話が飛んでいるようで飛んでないんですけど、説明不足というか、言葉足らずというか、いきなり話が飛んでいるように思えて、何のことやらってなってたらすみません。

 

なんか、まぁ、この人は、こんなこと考えてるんだなと思っていただければ幸いです。

 

わたし個人的にはめちゃくちゃスッキリしている(えっ)

 

 

脳内垂れ流しも垂れ流しな記事ですが、まっ!そんな日もあるよね!ってことで(笑)

 

 

まだしばらく低気圧や月の影響が続くと思われますので、皆さま、ご自愛くださいませー!!!

 

 

おやすみなさいっ!!!

 

 

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