「複雑怪奇をきわめるわたし自身」に随分と頭を悩ませましたが答えは「どんなわたしもわたし」とシンプルに受け入れることでした。
こんにちは、カウンセラー K!naCoです。
「女性としての価値」を受け取れないわたしは、そもそも強烈な自己否定により、自分で自分の存在を認めない(自分の存在価値を認めない)ということをしてきました。
その過程で「性別」すらも認識出来なくなったのではないか、だから女性としての価値も受け取れないのではないかという仮定が生まれたのですがどうもそこがしっくり腑に落ちなかったんです。
というのも。
一般的に「男性」か「女性」しかないように思われがちなセクシュアリティですが、実際はもっと多様であり複雑です。
わたしは専門家ではないのでその辺りを上手に詳しく説明が出来ないのですが、最近はLGBT(LGBTQ+ , SOGI)が以前よりも広く認知されるようになったおかげでそれらについて解説してるサイトがたくさんありますので興味がある方はぜひ調べてみて下さい。
さて、セクシュアリティは「多様であり複雑である」ということを前提として、じゃあわたしはどうなのかという話をします。
わたしは自分が「女である」という自認があまりありません。性自認といってわたしが自覚する心の性は「女」ではなく、かといって「男」でもないのですが「両性」「中性」「無性」どれをとってもイマイチしっくり来ないのです。
これが「自己否定しすぎた結果」なのかそれとも元々の性自認が少なくとも「女だけではない」のかが自分でもまだはっきりわからないのです。
さらにこれを悩ませる要素としてあるのが性的指向です。自分の「心の性」を基準としてどんな相手(の心の性)に恋愛感情や性的魅力を感じるのか、という要素です。
わたしは今までお付き合いした人の中にいわゆる「女性」がいます。「女性」から告白されたこともありますが特別なにか嫌悪感みたいなものを感じたことは一切ありませんでした。
なのでわたしは好きになるのに相手の(心の)性は関係ないというパンセクシュアルだと今のところは思ってます。
バイセクシュアルとは何が違うの?と思う方もいるかもしれませんが、バイセクシュアルは「男性」も「女性」も好きになれる人を指します。
わたしは相手の(心の)性関係なく「その人自身に惹かれるかどうか」が重要なのでバイセクシュアルではないと思ってます。
……で、何の話でしたっけ?
自分でも書いててわからなくなるくらい複雑なんですよ、ホントに(笑)
えっと。
じゃあわたしは一体、自分がどういう「性」だと思って女性と付き合っていたかというと「無性」が近いと思うけど、男性と付き合う時もそうだったかと言えばそれは「女性」だった気がするんですね。
だったら「女性」を抑圧してるだけなのかと思ったのですが、それだと無理やり「女性」と付き合った感じがしてしまう気がして。でもそういうわけじゃなく当時のわたしは本気だったけど…
と、わたしの中で矛盾が生じたんです。
そんなあれやこれやと悩むわたしにお弟子仲間が「こんなジェンダーもあるよ!」と教えてくれたのが「ジェンダーフルイドとジェンダーフラックス」でした。
ざーっくり説明すると、ジェンダーに流動性がある人がいたり、その時々によってジェンダーの強度が変わる人がいるということです。
詳しくは調べてみて下さい♡(丸投げ)
わたしは今までそれがどんな性であれ「これ!」という核となるものが必ずあると思っていたので「流動する、変わる」ということがあるとは思ってなかったんです。
でもそういうこともあるんだと思ったらわたしの中の矛盾は消えました。それがとーっても嬉しかったんです。
まぁ結局のところ、性自認に関しては流動(または変動)しているのではっきりと把握することは出来なさそうだなということになり、わたしは性自認が曖昧な人なんだなというところで落ち着きました。(今のところ、自分の中では。)
そして何よりも。
性自認がなんだろうが性的指向がなんだろうが「わたしはわたしである」ということさえ自分でしっかりわかっていればいいのではないか、という結論に至りました。
ここまで長々話しておいて(笑)
答えはいつだってシンプルでいいんだと思います。
「わたしはわたし」
どんな貴女も貴女なんです。
たとえマイノリティであったとしてもそれが「貴女」だし、「個性」だし、「魅力」なんだとわたしは思います。
自分で自分をそうやって受け入れられたら随分とラクに生きられるようになるんじゃないかなと思いました。
少なくともわたしはそれで随分とラクになりました。
わたしはわたし。素敵な魔法の言葉。
毎日、唱えてみて下さいね。
K!naCo - きなこ -