K!naCo - きなこ -

ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援するヲタク専門カウンセラー

両親に必要とされたい人生

 

 「罪悪感」はわたしが生きるために必要なものだった。

 

カウンセラー K!naCoです、こんばんは。

 

師匠 根本裕幸先生のこちらの記事をもとに「女として生まれたことへの罪悪感」を持つわたしはどのタイプが色濃いのかを考えてみました。

nemotohiroyuki.jp

 

以下、上記ブログを一部引用しています。 

 

〇女でよかったことを証明する人生

 

「男には負けられへん。」
「男になんかに舐められたらあかん。」
「何倍も頑張って男を見返してやるんや。」

 

という気持ちは小学生の頃から持っていました。それがなぜだかはまだ自分でもよくわかりませんが、少なくともわたしがライバル視しているのは「男」でした。

 

でも「女らしさ」をアピールした生き方はしてこなかったように思うので「女でよかった」という証明はしていないと思います。

 

 

〇人として必要とされる人生

 

わたしが選んだのは間違いなくこちらですね。男も女も関係ない、人は人だと中学生の頃にはもう思ってたんじゃないかなと思います。

 

服装も「ユニセックス」を好んで着てました。スカートも「女だから履く」というよりはそういうファッションアイテムとして着用していたように思います。

 

だからわたしは男女分けられる制服が嫌いでした。何を着るかいちいち考えなくていいのは楽だったけど(笑)

 

「あんたがいてくれてよかった」
「あんたは自慢の子やわ」
「あんたはすごいなあ。我が家の誇りやわ」

 

これはズシーンと来ましたねぇ。

まさにこのようなことを言われ続けて生きてきたなと。ただ「我が家の誇り」になれるほど出来た人間にはなれなかったところがまたわたしの残念なところです。

 

それが次に繋がるわけですね。

 

 

〇その罪悪感に飲み込まれてしまうような人生。

 

常にハードワークを繰り返し自分を罰していたり、幸せになれない男を選んで自分を傷つけ続けたり、親と癒着して親離れができなくなったりするんです。

 

まさにわたしです。特に親との癒着。

昨日のセッションで「もしわたしが家を出たら両親はどうなると思う?」と聞かれて

 

「想像出来ないし、したくない。

もしそれが想像出来てしまったら、

わたしが存在する価値がなくなる。」

 

と泣きました。

そんなこと思ってたんだね、わたし。

でもその通りなんですよね、今のわたしにとっては。

 

わたしがわたしでいるだけの価値がないと思い込んでしまっているわけですから、何かしらの存在意義がわたしにはいるわけです。

 

それが「両親を助けること」なんですよね。

 

だから今の状態で親との癒着を切ってしまうのは良くないんじゃないかなと思ってます。わたしがいる意味がなくなってしまうから。

 

そんなことないんですけどね、本当は。

 

でも意識はせずとも長年そうして生きてきた「癖」はそうすぐには抜けないんですよね。

 

これからわたしがどうやってその「誤解」を解いていくのか、またなぜわたしがそう思うようになったか、ブログを通してお伝え出来たらなと思います。

 

 

同じように悩む方へ何かのヒントとなるようなことがあればいいなぁ。

 

 

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