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ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援するヲタク専門カウンセラー

アラサー干物女のわたしが干物女である理由~干物に隠れる自分の才能や魅力、価値~

 

 

アラサー干物女のわたしが干物女である理由~干物に隠れる自分の才能や魅力、価値~

 

 

ヲタクの幸せを「ココロ」から全力で応援する

ヲタク専門カウンセラー K!naCoです、こんにちは!

 

猛烈に暑い日が続いていますが、皆さま、お元気ですか?

 

わたしは 7 MEN 侍サマステが始まり、日々レポを見て楽しく過ごしてます。

 

侍の最終公演を迎えるまでに、わたしも参戦予定なので当日が楽しみですっ!!!

 

早く推し達に会いたいっ!!!!!!!

 

 

さて、カウンセリングスケジュールが遅れておりまして申し訳ございません。

 

諸事情によりスケジュールが組めずにおりました。

 

明日9日20時にKFCにて、翌10日20時に当ブログにてご案内します。

 

▼ カウンセリングメニューはこちら。

kinaco215.hatenablog.com

 

個人的にオススメなのは推しについて語るセッションです。

 

なぜかって???

 

わたしは好きな人(コト、モノ)に関して楽しそうに話している方の姿を見ているのが大好きだからですっ!!!!

 

えぇ、そうです。個人的な癖(ヘキ)です。引かないで!

 

人って好きなことについて語るとめちゃくちゃテンション上がるんですよ。

 

その姿がね、とっても愛おしいんです。

 

テンション上げて、この猛烈に暑い夏を乗り切ってもらえたら嬉しいなって。

 

暑い夏に熱いラーメン食べてテンション上げる、みたいなね。

 

マジ、オススメなんで!一杯どうぞ!!!(誰)

kinaco215.hatenablog.com

 

 

さっ!大事なお話は済んだので、ここからはサーッと読み流して下さいまし。

 

(なぜなら、個人的にちょっと"恥ずかしい"と思う話をするから)

 

わたくし、アラサー干物女が"干物である理由"をツラツラお話しようと思います!

 

 

わたしは法的に結婚ができる年齢になってから15年程経つ、ベテラン独身貴族です。

 

恋人と称する人ももうかれこれ10年くらいおりませんっっ(ドヤ顔で)

 

合コン、街コン、紹介、相席居酒屋、マッチングアプリなどあらゆる試練(?!)をくぐり抜けて、丹精込めて立派に仕上げてきた「干物」なわたしでございます。

 

いいなと思う人がいなかったわけじゃないのですが、まぁ上手く回避してきましたよ!

 

危ない、干物が台無しになるところだったぜ!!!(何を言ってるんだ、こいつは)

 

 

自分はそんな干物なくせに、他人には「恋愛するといいよ!」ってオススメします。

 

 

それはね、本当にそう思ってる。めちゃくちゃ成長できると思うから、ホントに。

 

もちろん、無理にとは言いませんけどね。この世には楽しいことがいっぱいあるし。

 

ただ「興味はあるけど、自分には無理だ」なんて思っている人には、諦める必要なんて一ミリだってないからチャレンジしてみようよ!って思います。

 

 

えぇ、自分のことは棚に上げて(真顔)

 

 

 

最近、なぜわたしが干物を10年も死守してきたかっていうのを考えてたんです。

 

「その人の本質は、その人のセックスを知ればわかる。」

 

って心理学では言われてたりするんですね。

 

セックスの場で出てくるパターンが、人生のありとあらゆる場面で問題として出てくるって言われてるんですね。

 

セックスの場って、裸の自分をさらけ出すでしょ?

 

裸の自分=素の自分(本来の自分、本質的な自分)っていう見方が出来るんですね。

 

素の自分をさらけ出す、ってなった時にどんな反応が出るのかで、その人の本質がわかるんです。

 

 

心理学って、面白いと思いません???

 

 

 

ということで、わたしもその法則(?)を自分に当てはめて考えてたんです。

 

というのも、干物を10年も死守してきたのはセックスに対して抵抗があったからなんですね。

 

 

もうね、とにかく「される」ことの感覚的な拒否感が凄まじかったんです。

 

 

・自分のパーソナル(プライベート)な部分を侵されるような嫌悪感

 

・受け取る、受け入れることへの絶対的な拒否感

 

・感覚に飲み込まれて自分が自分でなくなってしまうような恐怖感

 

・まるでそこに自分が存在していないかのような虚無感

 

・ただただ相手に「する(尽くす)」だけで満たされない不満感

 

 

みたいなネガティブのオンパレードで、イメージは最っっっ悪です(真顔)

 

「こんなもの味わうくらいなら二度と恋愛なんかするかっ!!!」

 

と誓って、今日まで律儀にその自分との約束を果たしてきたってわけです。

 

 

素晴らしい、わたしっ!!!!!(黙れ)

 

 

ここから問題としてよく現れる「親密感の怖れ」はもちろんのこと「罪悪感」や「無価値感」などが見てとれるわけなんですけども。

 

 

一番、問題だったのは『感覚に身を委ねた自分への嫌悪』だったんですね。

 

 

セックスに限らずですけど、五感で感じてる時って、思考は働かないんですね。

 

頭で考えることが出来ないんです。つまり、理性が効かなくなるわけです。

 

 

自分をコントロールできなくなるんですね。

 

 

わたしが一番怖れていたのはまさにコレだったんです。

 

 

小さい頃から感受性豊かで、人の機微に敏感だったわたしですが、同じく感受性豊かで感情的な母から「感情的になること」を許されませんでした。

 

小さい頃って感情が昂ると泣いたりするじゃないですか。

 

ワガママ言って泣き、怒って泣き、悲しくて泣き、お腹が減って泣き、眠くて泣き、みたいなのありますよね。

 

そういうのを許されなかった(怒られていた)んですよね。

 

母からすると「みっともない」とか「恥ずかしい」って気持ちがあったんだと思います。

 

子供が公共の場で大きな声で泣いてたら、焦ったり、恥ずかしいって気持ちになったり、周りの目を気にしてしまったりするのも、まぁ無理はないですよね。

 

母自身が感受性豊かで感情的だからこそ、そういう自分を母自身が嫌悪していて、感情的になっている娘にそれをぶつけちゃったんでしょう。(投影ってやつですね)

 

自分が自分に許してないことを、人がやってたら許せない気持ちになるでしょう?

 

だから、ついついカッとなって怒っちゃうんですよね。

 

大人になった今ならそれも理解できますが、小さい頃はそうもいきません。

 

大好きな母親から大いに怒られたら、感情的である自分を「いけない子だ」として認識しちゃいますよね。

 

笑顔で居て欲しいお母さんを怒らせちゃうんですもん、いけない子だって思っちゃうのも無理ないですよね。

 

だから、大好きな母を怒らせないように一生懸命感情的にならないようにするんですけど、感受性豊かであるがゆえに、感情がいっぱい湧いてきちゃうんですよね。

 

そして、その度に怒られて、自分をどんどん「いけない子」だと認識していくんです。

 

 

大好きな母を怒らせちゃうような感情的なわたしは「いけない子」だ、ってね。

 

 

まぁ、心のどこかでは「理不尽だ」とも思ってるんですけどね。

 

「そういうあなたも感情的になってる(怒ってる)やん」って(笑)

 

ただやっぱり「大好きな人を笑顔にしたい(愛したい)」という気持ちには敵いませんよねー。

 

愛している分だけ、理不尽すらも飲み込んじゃうんです。なんて健気。

 

 

そんなわけでわたしにとって「感覚に飲まれて感情的になる」なんてご法度中のご法度!!!ダメ、絶対!!!案件なわけです。

 

そんな「いけない子」な自分を大好きな恋人に晒すなんて『THE END(死)』なわけです。

 

 

だって、かつてそんな自分は大好きな人を怒らせてきたわけですから。

 

そんな自分が大好き人から笑顔を奪っていたわけですから。

 

 

でも、感受性豊かなのはどうしようもないんで、どうやったって「感じちゃう」わけです。

 

感情が湧いてきちゃうんです。感情的になっちゃうんです。

 

 

そんな自分がわたしはめちゃくちゃ嫌いなわけです。だって「いけない子」だから。

 

 

じゃあ「そういう状況にならなければいいんじゃね???」ってことで立派な『干物』が完成したわけです!(?)

 

感じちゃうなら、感じない状況にしちゃえばいいじゃん!!!ってことですね。

 

鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギスみたいな??(違う)

 

妙案も妙案ですけど、こういうのをやっちゃうのが人の心理の面白いところです。

 

 

そんなこんなで「感受性豊かで感情的な自分」を封印したきたわたしなんですけども。

 

実はこれ、さらに深く見ていくと封印せざるを得ない事情がそこにはあったんです。

 

母との関係性から封印するに至ったわけですが、これ、別の見方をすると「感受性豊かで感情的な自分を封印するために母を使った」と見ることが出来るんですね。

 

アカウンタビリティー(自己責任の概念)ってやつです。

 

 

感受性豊かなことも、感情的なことも、一種の才能であり、魅力であり、価値です。

 

 

そういった才能や魅力、価値で「人に喜びを与えることができる」と"無意識に"知ってるんですね。

 

人に喜びを与えることで、人は幸せな気持ちを感じることが出来ます。

 

 

端的に言えば「幸せになる」んですね。

 

 

人って幸せになりたいって願う反面、幸せになることを怖れます。

 

めっっっっっっっっっっちゃくちゃ怖いんです、幸せになるのって。

 

わざわざ自分で自分が「幸せにならないように」仕向けるくらい怖いんです。

 

あっ、もちろん"無意識に"ですけどね。

 

 

自分の才能、魅力、価値をすんなり受け入れて、すんなり発揮出来たら、ちゃっかり「幸せ」になっちゃうでしょう?

 

「そりゃあ、つまんないぜ☆ 人生もっと楽しみたいぜ☆」ってことでわざわざ遠回りになるようなことを"自分で"起こしているわけです。

 

 

まぁ「人生を存分に楽しめるよう、自分で自分の才能、魅力、価値を気付くためのありとあらゆるトラップ仕掛けといたからな!出血大サービスだぞ☆」っていう神様からの(余計で)粋な計らいだと思ってみるのもいいかもしれません。

 

神様って、優しいねーーー!!!!!(棒読み)

 

 

 

そんなこんなで。

 

やっっっと感受性豊かなことも感情的なことも自分の才能であり、魅力であり、価値なんだなということを受け入れ始めたわたしでございます。

 

受け入れ始めると不思議なことに「生まれ持った感受性や感性を"自分の意志で"人を喜ばせるために使えたらいいな」と思えるようになりました。

 

『脱・干物!!!』にはまだ抵抗があるので、もうちょっと時間がかかりそうですが、そう遠くない未来に出来るんじゃないかという気がしなくもないです(めちゃくちゃ曖昧かつ遠回しな表現)

 

受け入れた才能や魅力、価値を自分の意志で使ってみたらどうなるのか、っていう好奇心や興味が今よりも高まれば、サクッと『脱・干物!!!』してると思います。

 

 

(本当にそうなりそうで、自分で言ってて怖くなってきた・・・!!!)

 

 

(本当に脱干物したらお祝いしてね・・・!!!)

 

 

(まっ、今は一ミリもその気配ないけど☆)

 

 

 

 

才能、魅力、価値って結局、使って磨かなきゃ光らないですからね。

 

ただ持ってるだけじゃダメなんですよねー。使ってなんぼです。

 

今生きている人生、自分が思っているよりもずっと短いです。

 

人生満喫して楽しみ尽くすにはあまりにも時間が短いです。

 

だからこそ少しでも早く、自分の才能、魅力、価値を知って、受け入れて、今よりももっともっと楽しい人生を一分一秒でも長く送って頂きたいとわたしは人々に願うのです。

 

 

そのためのお手伝いがセッションを通して出来たら嬉しいなと思う次第でございます。

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